2019年 1月 14日

ぬか喜びした話と驚いた話と失礼な話――田井郁久雄著『前川恒雄と滋賀県立図書館の時代』

 その年のうちにアップしようと思いながら、年が越えてしまった。
 昨年(2018年)の4月下旬に彦根市立図書館の新刊コーナーの郷土図書の棚で見つけた田井郁久雄著『前川恒雄と滋賀県立図書館の時代』(出版ニュース社 2018年)について、遅ればせながら。いったん借りて、さらっと読んでおもしろかったので購入。
 県立図書館と市町村立図書館の県民1人当たり貸出点数は、2001年から2013年まで滋賀県が全国1位だった(2014年以降は東京都が1位、滋賀県は2位)。図書館職員の質(司書率の高さ)もふくめ、滋賀県を図書館王国にした立役者が1980年から1990年まで滋賀県立図書館の館長を務めた前川恒雄である。
 前川本人への聞き取りもふくめて関係者に取材し、滋賀県レベルでいえば、武村正義知事による行政主導の図書館振興から嘉田由紀子知事以降の予算削減による停滞までを、図書館業界的には(知ったかぶって書くのだが)、前川恒雄の時代から民営化に舵を切った栗原均の時代への移行を“歴史”としてまとめたのが本書ということらしい。
 図書館学の本というと理論・理念先行のような気がしてしまい、私は前川恒雄の著書もふくめて、あまり読んだことがない。そんな私でも、あくまで記述が具体的な本書は流れをつかみやすい。前川就任以前の滋賀県立図書館が、貸出冊数の何倍もの水増しをおこなっていたこと(ある期間の統計数値は役に立たない)なども包み隠さず書かれている。
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 前川の図書館運営上の方針からひとつだけ紹介すると、予約サービスでリクエストされた本は、内容にかかわらず購入して提供するというもの。県内の市町村立図書館からのリクエストもふくめて、県立図書館が断った事例は、「ほとんどないと言ってもよいくらい少なかった」とある。
 それがリクエストによる購入だったのかはわからないが、公共図書館としては稀なそろいのよさに、私も助けられたようなので、そのことを書いておきたい。
 2016年11月に当ブログでアップした「一夜明けたらFree Fallihg」で、ミュージシャンのプリンスについて書いた。そのさい、ジェフ・ブラウン著/岩崎江身子訳『プリンス全曲解説』(シンコーミュージック、1997年)に目を通しておいたほうがよさそうに思えた。同書に書かれていることを、知らずになぞっていても恥ずかしいし。本自体は絶版。アマゾンで中古本を入手しようと思ったのだが、プリンスが死んですぐだったので関連本や希少CDは高騰しており、最低価格で4000円ぐらいになっていた(定価は1600円+税)。
 そこであまり期待せずに、滋賀県立図書館の蔵書検索をしてみると、あった。
 Google検索で、「国立国会図書館」「プリンス全曲解説」の2語を入力すると、国立国会図書館サーチの書誌情報がヒットして、その右に提携している(という言い方でよいのだろうか)全国の公共図書館(都道府県立・政令指定都市の市立図書館など)のうちから所蔵している館の名前が表示される。
 『プリンス全曲解説』の場合は、滋賀県立図書館と徳島県立図書館の2館のみである。
 徳島県立図書館のほうも、『前川恒雄と滋賀県立図書館の時代』を読むと、「たまたま所蔵していた」のではないことがわかる。滋賀県立図書館には視察が相次ぎ、前川は他県の図書館計画の委員に招かれることも増えていった。「その中で前川がもっとも深く関与したのが徳島県だった」とあり、1節が設けられている。徳島県では、1990年開館の同県立図書館長に前川を招こうと働きかけてもいたという。
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 さすが、と思っていたのだが、2館のみというのは私の勘違いだった。訂正する。今回書き始めて、改めて国立国会図書館サーチのホームの画面で「プリンス全曲解説」を検索すると、検索結果画面には2つの図書が表示される。
 1行目が、「ジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ プリンス全曲解説」
 2行目が、「プリンス全曲解説」
 著者名以下の情報はすべて同じで、同じ本なのだ。
 そう、おわかりのとおり、ジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(The Artist Formerly Known As Prince=かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)というのは、1991年から1999年まで、雄雌記号とラッパを組み合わせたような記号(発音は謎)に改名していた時代に、彼のことを音声で伝えるために用いられていた言葉である。
 1997年発行の本書は当然、こちらの名前になっている。それが正しいわけだが、アマゾンでも(あつかわれているのは中古品だけだが)書名は、「プリンス全曲解説」となっており、国立国会図書館も「プリンス全曲解説」を採用し、詳細情報の注記の項に「書名は奥付等による 標題紙の書名The artist formerly known as Prince」とある。ちなみに英語の原題は「The complete guide to the music of Prince」(発行は1995年)。その辺のわかりにくさは、書影画像を参照。
 要するに、1行目の長い書名を採用した所蔵図書館がある。札幌市中央/東京都立多摩/静岡市立中央/三重県立/大阪府立中央/大阪市立の6館。失礼した。それでも所蔵している公共図書館が稀ではあるのは確か。
 さて、『プリンス全曲解説』は、借りて読んでみると、以前のブログで最初にあげた曲「Peach」に関して、「プリンスがライブで必ずといってよいほどプレイする曲だが、なぜこんなつまらない曲をいつもやるのかわからない」といった評(手元にないので記憶による)が書かれており、この著者とはまったく趣味が合わないことがわかった。星5つにしている日本のアマゾンのレビュアーではなく、星1つのアメリカのアマゾンのレビュアーに賛成。
 大枚はたいて買わなくて本当によかった。いや、無理に滋賀県立図書館をほめようとしているわけではなく、仕事の参考文献にしても借りても半分は使い物にならないわけで、目を通してダメだとわかることが大事なのである。所蔵していてくれないことには話にならない。
 資料費(図書購入費)予算額を約2分の1に減額させた嘉田由紀子知事(2006~2014年)、三日月大造知事(2014年~)時代以降は、真面目な話、ない本が増えてゆくのだから仕事上、困っている。
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 なお、「第一部 若き日の前川恒雄―30歳前後までの歩み」は、「図書館関連以外の個人的な体験を語るのを好まない人」だった前川の少年期・青年期が、断片的ながら記録されていて貴重である。
 その中で私が一番驚いたのは、前川が通っていた朝鮮全羅南道木浦府の小・中学校の同学年にロシア文学者の松下裕がいたという部分。
 2人とも1930年に朝鮮で生まれている。当時は名前だけ知っているという程度で親しかったわけではないそうだが、松下は筑摩書房の編集者をしていた頃に、滋賀県立図書館館長だった前川に図書館に関する一般書の執筆をすすめ、『われらの図書館』(1987年)、『移動図書館ひまわり号』(1988年)ができあがったのだという。
 図書館関係者にとっては周知のことなのかもしれないが、この2冊とも私は読んでいないのである。
 その箇所に、中野重治の名前も記されているので書いてしまうと、松下裕といえば、私にとっては、『中野重治全集』の編者として記憶にある。関係するネタがあるので、次回につづく。
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 次回がいつになるかわからないので、昨年のベストセラー『君たちはどう生きるか』について書いておこう。正確には頭に「漫画」とつく、マガジンハウス版が2018年ベストセラー1位になったのだが、こちらについては、漫画家のいしかわじゅんの「俺も読んでみようと思って本屋で手に取ったんだけど、『なにこれ!?』って思って、そのまま元に戻した。絵もひどいし、構成も下手。本当にひどいマンガだよ」(『フリースタイル』41号)という発言と、私も同じ行動をして、同じ感想をもった。
 それとは無縁に、私は岩波文庫版の吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を2冊も所有している。それは、なぜか。
 以下は、以前の当ブログ「小波の世界」(2014年5月25日アップ)の中で、石井桃子とつながる作家は一般的な関心をひくためには太宰治だろうが、私にとっては中野重治だとしたところに、入れていたかもしれない話。ネット上では、このことを書いているものが見当たらない。
 まず、20年ばかり前、私は『石井桃子集 7』(岩波書店)収録の随筆「ある機縁」を読んだ。石井は「ある本」をきっかけに、知り合いを頼って中野の家を訪れる。「まるで子どもが言いつけ口でもするように」と幾分の後ろめたさとともに記す石井は、発行当時、世評高かった「ある本」をあまり好きではないという点で、中野と意見が一致したことに救われたのである。「ある本」の書名は明かされていないが、1940年前後という時期の中野が書いた書評をあたって、『君たちはどう生きるか』だろうと推測して、試しに古本を買ったのである。全体の4分の1ぐらい読んでそのままになった。
 その後、2014年に当ブログで「小波の世界」を書く前、中野と石井が直接会うきっかけになった本として、「おそらく」の但し書きつきで「あの本」のことを書きたくなり、ともかく最後まで読もうと探したのだが見つからない。仕方なく、アマゾンで古本を注文した。私のパソコンでアマゾンの「君たちはどう生きるか(岩波文庫)」のページが表示されると、上段に「お客様は、2014/2/9にこの商品を注文しました」と案内がでる。売価は27円+送料だったこともわかる。そうして2冊目が届いたわけだが、またしても私は読まなかったのである。自分の評価というもののない本の書名を否定的な文脈で出すのも失礼に感じ、このエピソードについてはカットした。
 アップして間もなく、尾崎真理子著『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮社)が出版された。聞き取り箇所で、石井は『君たちは……』を「優れたところがあるのも認めますけど」「私は感心することができないんですね」と言い、中野重治が「あれは文学じゃない」という意味のことを書いていたことをつけ加えている。
 なので、2015年に石井桃子の小説『幻の朱い実』が岩波現代文庫になったとき(日曜日の新聞の書評欄の下に載る岩波書店の新刊の広告を見たのだったろう)、同時配本が梨木香歩著『僕は、そして僕たちはどう生きるか』という書名の、おそらく『君たちは……』を現代的にリメイクした本だったため、私は勝手に「石井さん、いやだろうな」と思ったこともある。これまた、『僕は……』自体を読んでいないので、失礼な話である。そして、いまだに『君たちは……』を読み通していないのも失礼な話である。せめて漫画でもと思ったのだが、前述のとおりの出来だったので果たせていない。

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