2011年 7月 17日

アイスクリーム製造機

夕食後、無性にアイスクリームが食べたくなったのだが、コンビニに行くには車で5分かかるし、それだけのために出かけるのも面倒なので、手作りすることにした。ムッ、よく考えてみれば、手作りするより5分で手に入れることができるのなら、手作りするほうがもっと面倒かも知れない。しかし私は一旦自宅に戻ると、もう出かけるのが面倒だったのだ。
それはともかくとして、アイスクリームのレシピを料理本で調べてみた。
 卵黄    1個
 砂糖    40~50g
 牛乳    150cc
 ラム酒   少々
 バニラエッセンス 少々
 生クリーム 100cc
と書いていたが、生クリームがなかったので、その分牛乳を少々増やすことにした。
 
さて作り方は卵黄と砂糖を白くなるまで混ぜて牛乳を入れて再度混ぜる。
これを中火にかけて木じゃくしで混ぜ、少しとろみがついて鍋の縁が泡立ったら
火から下ろす。
水につけて冷やし、ラム酒とバニラエッセンスを入れて、氷水でさらに冷やす。
卵白をそのままにしておくのは、もったいないので、ここで泡立てて、ピンと
してきたら、一緒に混ぜ混ぜしてみた。

冷めたところで冷凍庫に入れ、30分ほどしたら、アイスクリームの種をかき混ぜる。時折かき混ぜて約1時間半で、なんとかアイスクリームらしくなった。

なあんだ、アイスクリームって意外と簡単に作れるのだとわかったのだが、我が家にあるアイスクリーム製造機ならもっと簡単なのではないかしら。
というわけで、部屋の隅にほったらかしでほこりまみれになっていたアイスクリーム製造機を洗った。

部品はいたってシンプル。木桶、材料をいれる蓋つきの缶、ミキシングするための羽根、手回しハンドルつきギア、持ち運び用の取っ手。GREENLAND FREEZERというのがどうやら商品名のようだ。

こうして洗ってマジマジと見て、初めて知ったのだが、木桶にはしっかり、購入履歴を記していた。「1926・7」。反対側には「KAYOMON IWANE」。つまり昭和元年7月に岩根嘉右衛門が買ったらしい。でも、私の祖父であるカエモンじいさんがローマ字でKAYOMON IWANE と書いたかどうかというと、どうも疑わしい。おそらく明治39年生まれの父が20歳の誕生日を迎えた月であるから、きっとカエモンさんにねだって買ってもらったのだと思う。うん、きっとそうに違いない。当時父は鶏を飼っていて、品評会で銀賞をとった頃だから、そのご褒美だったかもしれない。

あっ、ここでひとつ断っておこう。明治生まれの父の子供でとすると通常戦前生まれだが、父は晩婚だったので、子供はみんな戦後っ子です。

さて話を元に戻し、このアイスクリーム製造機は外国製だし、彦根の金物屋さんに売っていたとは思えない。時折東京へ出かけていたという父の事、上京したときに探し求めたのか、はたまた、雑誌の通販記事で見つけたかのいずれだろう。
父は片田舎のコセガレだったが、やたら西洋カブレしていたようで、このアイスクリーム製造機を買った4年後の昭和5年に開業した謄写版屋の屋号は「サンライズスタヂオ」とつけたのだ。昭和の初めのデザイン雑誌『アイデア』のボロボロになったものなどが残っていて、どうやら定期購読していたようである。
こうして、85年前のアイスクリーム製造機をしげしげ見ていると、昭和の初めみんなが木桶を囲んで、交代しながらハンドルを回し、できあがったアイスクリームをガラスの小皿に入れて、ワイワイ騒ぎながら食べていたであろうと、勝手に想像してしまう。
そのことを5歳上の姉に言ったところ、「あら、私は食べたよ。あんたは知らへんの?」と自慢げに返された。悔しいから私もこのアイスクリーム製造機で作ろうと試みたのであるが、残念ながら木桶の下のタガがないため、桶の底が不安定で、結局手回しアイスはできなかった。

でも、手作りアイスクリームは意外と簡単にできるということがわかったし、この年代物のアイスクリーム製造機は横浜市歴史博物館、江戸東京博物館では収蔵品として保管・展示されているらしいから、今まで通り我が家のガラクタ骨董品として、残しておいてあげよう。

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