2009年 10月 30日

あきれたので書いておく

 住んでいる大字の会議所が改装されることになった。厚生労働省だったかが、高齢者を集めて健康指導をする施設を作るためなら補助金を出すというので、それに乗っかった形である。耐震補強が施されて、1階部分がバリアフリーになる。大急ぎで年内中に完成させるスケジュールである。
 10月24日(土)、朝8時から建物内の備品の引っ越しが行われた。ちょうど隣の元洋服店が空き家になっているのでそこへ移動するということで、今年組長があたっている私も駆り出された。燃えるゴミに出す分として山積みになっていた平成以降のプリント類の山に目をやると、毛筆の文字が並んだシミだらけの古い紙があった。2枚の紙が紙縒(こより)で綴じられている。「本村ノ大橋」「普請」「浅井郡第十区 種路村」「板四十八枚」などの文字が素人の私にも読み取れる。
 「ちょっとちょっと、こんなもん捨てたらあかんでぇ」。「○○○(うちの屋号)、ほういうのが趣味か、興味があるならもろて帰れ。他にもぎょうさんあったけど、こないだ燃やしてもた」。この日の前に、役員(40代後半~60代前半)だけで中に保存されていた文書類を整理した時、明治初期の文書類などをほとんど焼却処分してしまったのだそうだ。
 さっき出てきた「種路村」と「市場村」「河原村」の3村が明治7年に合併して、今の大字「山本」の範囲の集落になった。なので、日付はなかったが、「本村ノ大橋」の文書はそれ以前のものということになる。
 何も私の住んでいる大字には学問的に貴重が記録があったはずだと言っているわけではない。そんなものはないだろう。
 にしても、「趣味」かどうかの問題ではないだろう。会議所ができた昭和40年代の時点でも、すでに書かれてから100年ぐらい過ぎていたのに、当時の役員らはそれらを保存したわけだから。
 県内博物館で、地方史家のさきがけとして中川泉三を顕彰する展覧会が行われているけれど、まぁ来年には長浜市になる湖北町の一大字の実状はこんなものである。今週ずっとうんざりした気分が続いている。

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