'
2009年 8月 25日

お市と三姉妹の生涯(3) お市の前半生

長浜城歴史博物館 太田浩司
 
 浅井長政の正室で、浅井三姉妹(茶々・初・江)の母・お市の方は、織田信長の妹であり、天文16年(1547)の生まれと言われる。
 長政から見ると、2歳の年下となる。お市については、『織田家雑録』『豊臣太閤素生記』などに載る系図に、長政の娘3人の母は「信長公妹」とあるので、信長妹であることは自明のように思われる。
 しかし、徳川幕府歴代将軍の生母・御台所・側室の伝記である『以貴小伝』には、「諸書にしるす所、みな妹といふ、然るに渓心院といふ女房の消息をみしに、信長のいとこ(従兄妹)なりといふ、もしハいとこにておハせしを、妹と披露して長政卿にをく(送)られしにや」と、本当は信長の従兄妹だったとする説を載せている。しかし、これは他に傍証するものがなく、江戸時代の俗説だろう。
 浅井長政への輿入れが通説通り、永禄10年~11年(1567~68)であるとしたら、お市の年齢は21・22歳であったことなる。この通説をとる歴史学者の小和田哲男氏が自身も認めるように、これは初婚のお市としては少々年をとりすぎている。私は輿入れを、通説とは異なり永禄4年(1561)と考えており、年齢は15歳となる。これは当時としては適齢期となり、年齢の面でも永禄四年説は支持されるべきだろう。
 長政とお市の小谷城での日常生活が、如何なるものであったかは何も史料は語らない。小谷城では、清水谷の一番奥「御屋敷」と呼ばれる場所に、長政夫妻の生活の場所があったと考えられる。
 娘である三姉妹もここで生まれたと考えられるが、三女の江のみは小谷落城の年(天正元年)の生まれであるから、山上の大広間にあった御殿で出生したと考えるべきであろうか。小谷城清水谷は前年から信長軍の侵攻する所となり、長政一族が住居する状況にはなかったと思われる。(滋賀夕刊2009/7/28)
 
※太田浩司先生と滋賀夕刊新聞社のご好意により、当ブログで再録連載中。
 第4回「長政の男子」は近日アップ予定です。お楽しみに!(Y)
 
■長浜城歴史博物館
 http://www.city.nagahama.shiga.jp/section/rekihaku/
■滋賀夕刊新聞社
 http://www.shigayukan.com/

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ