2013年 11月 04日

そして Cui Cui になる――是枝裕和著『歩くような速さで』

 私も知らなかったので、タイトルに含まれる横文字(フランス語)の意味をまず説明しておく。
 近所の図書館にあった三省堂の『クラウン仏和辞典』によると、
  cui-cui [kɥikɥi] 小鳥のさえずり;チッチッ,ピッピッ.
 ハンディータイプの辞典の説明はこれだけ。ネットで検索したところ、フランス語で小鳥の鳴き声を表すと同時に、写真を撮る際のかけ声、「はい、チーズ!」の意味で使うらしい。発音記号の部分をカタカナ書きにすると、キュイキュイ。
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 昨年8月26日付の当ブログを、「加えたくなるエピソード――細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』」という題で書いた。アップしてしまった後でも、つらつら考える。
 お花畑にたたずむ彼(おおかみおとこ)は、やっぱ顔を出しすぎ。あんな長身のイケメン、どうやって人目を忍んで生きてきたのさ。
 小学生のツッコミかといわれそうだが、もっと存在の影を薄く、人間姿の場面では一度も目や顔全体を見せない構図で通してしまい、その死も社会的には何の影響も及ぼさず、ヒロイン・花の中でも、現実に彼は存在したのか、曖昧になっていく。彼が存在したことを強く記憶しているのは、花の指先に残るおおかみ姿の彼のつややかな毛並みの感触だけ……といった感じの方がよくないか。通りすがりの大型犬に出会い、毛並みをなでていると、やがて花は……連想されるエピソードは、またしても二次創作向きだが。
 クライマックスの一つで、台風の中、山中で気絶している花が息子の雪に助けられるシーンも、人間姿の雪が花を抱きかかえて麓の駐車場へ運ぶのではなく、現実の体長を無視してでも、おおかみ姿の雪の背に花をのせるべきだろう。雪の毛並みに触れた指と風を受けた頬の感触から、おおかみ姿で山野を駆ける彼の姿が頭の中に浮かぶ……というだけでも、息子の旅立ちを祝福する気持ちへの移行を観客は納得できるのでは。少なくとも私は見ていて恥ずかしくない。
 そんな考えが片隅に残った頭で、同年12月に放送された関西テレビの連続ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』(以下『ゴマホ』)の最終回を観ていると、阿部寛演じる主人公・坪井良多が指先を「毛」に触れることで、過去の記憶をまざまざとよみがえらせる場面があった。さすが、是枝裕和、わかってる。
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[以下、お急ぎの向きは、次の区切り線まで跳ばしても可]
 このドラマとの出会いは日付がわかる。その次の回(11月13日放送)から録画してあるから、逆算して第4回放送の11月6日(火)だ。その夜、22時15~20分ごろ、私は台所で夕飯の食器洗い(私の担当)にとりかかるため、とりあえずテレビをつけ、なにげに8チャンネルのドラマを映しておいた。観ていたのではない。台所の洗い場に向かうと、テレビ画面に対しては背面になるから、音が聴こえるだけ。洗っている間のBGMだから、その場に妻がいると、「観てへんのやかい、消しいな」と叱られる。
 蛇口からの水音もあって、背中越しの音声はとぎれとぎれにしか聴き取れない。それでも、このドラマの会話とそのテンポに私はひかれた。急いで食器洗いをすますと、テレビに向かう。
 山の木立の中で腰を下ろしている西田敏行の背後を数十年前の回想場面の人物3人が横切っていく。同一フレームの中で。テレビで許されるんだ、これ。
 脚本家の名前を確認しようとエンドロールを見つめる。下から上へ流れていた名前たちは、最後に「監督・脚本・編集 是枝裕和」で止まった。
 阿部寛とYOUが姉弟って、映画『歩いても歩いても』(2008年)のまんまじゃん。
 以後、私は毎週火曜日の夜を待ち望み、食器洗いも早めにすますか後に回して、残りの全話をリアルタイムで観た。
 問題は、初回から第3回と半ば以上見逃している第4回放送である。放送中からテレビ局の動画配信サービス「フジテレビオンデマンド」を検討していたが、面倒くさい気がしてやめた。その翌年、つまり今年の3月に全話のDVDボックスが発売されたが、先に述べたとおり、家のDVDデッキのハードには放送第5回から第10回(最終回)までの映像、要するに半分以上はあるから購入がためらわれた。そもそも、そのうちレンタルDVDに並ぶのだろうと思っていた。ところが、低視聴率だったためか、田舎町だからか、私の行動範囲のレンタルショップにはいっこうに並ばない。
 そうこうしているうち5月、是枝監督の新作映画『そして父になる』が、第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。その効果で『ゴマホ』がレンタルショップに並ぶことを期待したが、そういうものではないらしかった。なので、初めてDMM.com(「ネットで予約、自宅へお届け、ポストへ返却」というやつ)を使ってみた。これは便利だ。ところが、1枚2話収録の1と2を借りたところ、偶然の出会いに驚いたはずの第4話をひとつも記憶していない。ネットで調べたところ、初回が1話・2話連続の2時間スペシャルだったそう。つまり私の観た放送第4回は、DVDでは第5話にあたる。再び、DVD3をネットで予約。ようやく全11話を視聴。
 ついでに、主人公の名前が『ゴマホ』と同じ「良多」である映画、『そして父になる』について、一点だけ書いておこう。良多(福山雅治)に向かって、妻のみどり(尾野真千子)が寝入った血のつながりがある方の息子の髪をなでながら言う、この子の髪もあなたとそっくりという意味の言葉が、みどりの台詞の中では一番艶かしかった。もひとつついでに、一つ前の映画『奇跡』(2011年)の場合、おばあさんが少女の髪をとかすシーンが忘れがたい。
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 9月に出た是枝監督の初エッセイ集『歩くような速さで』(ポプラ社)を手にとる。
 「映画とテレビとはどこが違うと思いますか」というよくある質問について、「一番簡単な答えはこうだ。写真が動いたのが映画で、ラジオに画がついたのがテレビ。出自(DNA)はまるで違うが進化?の過程で似てしまったのだ」。
 そう。簡単なことなのだが、世の常識にはなっていないので、わかりやすく言い換えると、テレビドラマで人気の脚本家・某や演出家・某が何本映画をつくろうがそれらは「映画」にならないが、表情とアクションの連なりに音は銃声だけでもよいコメディアン・某の映画は確かに「映画」だということだ。
 いや、訂正。上記の説明だと映画が格上のようにとられるか。是枝は、『ゴマホ』シナリオ本(ポプラ社)巻末のあとがきでも力説しているとおり、テレビドラマも愛している。
 第2話(放送は第1回)のラストシーン、倒れて意識が戻らないまま病室のベッドに寝ている父・栄輔(夏八木勲)を見下ろした良多が、「本気ですか…あなたらしくもない。どうせあれでしょ…何か別のこと企んでたんでしょ…お金とか…女とか…」、さらに寄って耳元で「女とか」と詰め寄るシーンは、往年の山田太一ドラマを思い出した。
 一方で、先にあげた「毛」に触れるクライマックス(第1話の伏線を回収するシーンでもある)に台詞はなく、画面を観ていなければ何が起っているかわからない。
 双方の違いを明確に意識した上で、映画もテレビの連ドラもこなしてしまう手腕に感心する。
 その創作スタンスとからめて理屈をこねようと思えばこねられそうだなという点で、このエッセイ集のキモは、是枝監督が子供の頃の是枝家特有の家族写真の撮り方を明かした文章だろう。時を経るほど真実味を増すフェイク写真。1枚現物が掲載されており、笑わせてもらったが、怖ろしい。
 本書の終盤に、2歳の頃に観たテレビのスポーツ中継の記憶をめぐる一文があり、『ゴマホ』最終回の例の場面が、是枝監督の実体験をもとにしたものだということがわかる(ただし、文中には、その点への言及はない)。
 その次の次に、「再会」と題して、写真家・川内倫子の写真集『Illuminance』出版を記念する書店イベントで対談した話が掲載されている。是枝監督の依頼で、川内が映画『誰も知らない』(2004年)のスチール写真を担当した縁だそう。対談前の予習に、是枝監督は川内の写真集をデビュー作から順に改めて見ていった。
 「その中の一冊に『Cui Cui(キュイキュイ)』という、川内さん自身の家族を13年にわたって記録したものがある。彼女の実家である滋賀県で畑仕事をしながら暮らす祖父母を中心に、そこに集まる両親や親戚の姿を追ったプライベートな写真たちが時間軸に沿って並べられている」。
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 さて、滋賀で撮影された、日本語の擬音に訳せば「チッチッ」という小鳥のさえずりをタイトルにもつ写真集にたどりついた。刊行年は2005年(発行フォイル)。
 まず頭に、「あぁ、リトルモア的な写真ね」と浮かんだのは、調べてみると2002年に木村伊兵衛写真賞を受賞した写真集『うたたね』と『花火』の発行元がリトルモアだったからまとはずれではなかったが、失礼ながら私は彼女の写真集を1冊も通して見たことがない。
 彼女の作品は、高い抽象化の域に達しているからこそ、パリで個展が開かれ、ニューヨーク国際写真センターの賞を受賞した。だからこそ、どこの何を、誰を撮影したかがすべての私ども地方出版社とは無縁だと思っていた、と、ひとまず説明しておこう。
 さて、写真集『Cui Cui』を購入。
 表紙は、皿にのったスイカひと切れの皮と種の写真。
 ページをめくる。野暮な見方だというのは承知である。ここは滋賀県のどこだ?
 以下手がかりとなった写真と考察。順番は一部が掲載順とは異なる。
[1]テーブルに並ぶお札(ふだ)。「寿」の字の下に「◇◇神社」。
[2]墓地の入口にある六地蔵の前にしゃがんで菓子と花を供える女性たち。
 神社名と同じ名の集落の自治会が1999年に発行した字史をめくってみる。なぜ手元にあるかといえば、組版・印刷を小社が受注し、私が原稿整理と校正を担当したからだ。その245ページ左下にほぼ同じ角度から撮影された六地蔵の写真が掲載されている。6体のうち左端の地蔵だけ、光背上部が欠けている点も同じ。本文には、墓地の名称と周辺6集落の共同墓地で、各集落ごとに区画されていることなどの説明あり。
 同字史の巻末422ページからは、「平成八年(一九九六)四月一日現在」の全戸の世帯主名が掲載されている。256戸(人)のうち、川内姓は男性名で1人のみ。では、おじいさんの方の名前はかなり高い確率で……って、この早さは自分でも予想外。
 まだ、2枚だ。野暮を続けよう。
[3]仏壇前の書見台の上に置かれた浄土宗の経本「日常勤行式」の表紙左下に「滋賀県/△△郡/△△町/△△寺」とある。
 こちらは郡(平成の大合併前)が異なる県内の別地域だから、おばあさんあたりの親元の寺か。
[4]杖を手にアスファルト道路に立つ背中向きのおじいさん。
 反対歩道側の電柱の中ほどに設置された小さい看板に、現在も近くにある博物館の名前がぼんやり読み取れる。
[5]おばあさんが入院している病室の窓とその向こうの景色。
 地理的には、A病院かB病院が考えられる。片方は、私の義母が骨折したときに入院したので、娘も連れて3人で見舞いに行ったことがある。窓の外のコンクリート壁のさらに向こうに見える建造物は、東海道新幹線の高架の防音壁だろうか。食堂兼談話室のテーブルで義母と話していると、10分おきかというぐらいの頻度で病院の東側を通過する新幹線の音と振動が感じられた。新幹線に隣接している点は、もう一方の病院も同じ。
 この病室からの眺めが1枚の写真ではなく、15分程度のムービーだったら、この場を特徴づける音と振動が記録されただろう。そもそも、この写真を写したさいのカメラは、音と振動に反応して向けられたもののようにも見える。
 ここで、妻に協力をあおぐ。彼女は、[1][2]で予想をつけた集落と一部が隣り合っている集落で生まれ育った。偶然にも!
 「なんか、見覚えのあるとこ、ない?」と私。
 「………どこにでもあるような風景ばっかやんか」と妻。
[6]障子の前にぶらさがっている3種のカレンダー。そのうちの日めくりカレンダーの日付は平成11年(1999)1月2日(土曜日)。
 そう、『ゴマホ』視聴者にはおなじみ、「日めくりカレンダー」が出てきた。そこに印刷された思わずメモしたくなるような格言をここに書き写すことができれば、きれいに終われるのだが、そこまで偶然は重ならない。「土曜日」の横に「胃」の1字があって読み取れない小さな字で豆知識らしきものが書かれているのみ。下の段は大阪に本社がある鋼材会社の広告で、社名の上に「徹底された品質・納期管理で信頼される!」とある。
 その下には、日めくりカレンダーで上半分以上が隠れて用をなさなくなっている縦長の月めくりカレンダー(見えているのは、23日以降)がある。その下段に印刷されている商店の広告を見て、妻。
「この▽▽▽▽▽▽▽商店て、うちでも修理とか来てもろてたよ」。
 「もう1回言うて」と私。
 写真集から顔をあげた妻が、「うちのプロパンもここやった。この▽▽▽▽▽▽▽▽▽。私らは、この小さい字の▽▽▽▽▽▽を▽▽▽の後ろにつけて呼んでた」と、長ったらしい店の名をそらで言うので私は笑い出した。

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