2011年 12月 07日

どうやら、ナメクジではなくシャクトリムシらしい琵琶湖

 今年もあとわずか…ということで、振り返ってみると、「東京は遠い」と改めて思った年だった。東日本大震災も福島原発事故も、私の生活にほとんど影響はなく、東京発の情報に距離ばかり感じたからである。福井県にある高速増殖炉「もんじゅ」から50km圏内の滋賀北部に住んでいる者にとっては、去年の炉内中継装置落下だかを報じる中日新聞1面の方が怖かったんだもの。その時、他紙は1面で報じなかった。東京在住者にとっては遠いところの出来事だったのだろうから、お互い様である。
 なので、地震ネタあるいは原発ネタを書くつもりはなかったのだが、大げさにいうと発想の転換を迫られる本に出会ったので紹介したい。
 11月に出た寒川旭著『日本人はどんな大地震を経験してきたのか―地震考古学入門』(平凡社新書)を書店で手にとって中ほどを開くと、右に伊勢湾、左に大阪湾、中央に琵琶湖が描かれた地図が載っていた。「図4-2-2 聖武天皇の遷都と活断層」という図で、聖武天皇が紫香楽宮を半年も満たぬうちに廃して、平城京に遷都した決定的な理由として、745年に起きた地震のことが書かれている。ふむふむ。数ページ進むと、「3 揺れ沈む巨大な湖」という見出しがある。
 1986年に滋賀県高島郡今津町(現、高島市)の町史編纂室を訪ねた著者は、発掘中だった北仰西海道(きとげにしかいどう)遺跡の発掘現場で、粘土層を引き裂いて噴砂が流れ出した痕跡を見た。このことが、「地震考古学」という新しい研究分野を開拓するきっかけになったのだそうだ。
 北仰西海道遺跡というのは、西日本最大規模といわれる縄文から弥生時代にかけての集団墓地の跡で、私は以前、出土した土器棺墓(土器二つの口の側を重ねて遺体を入れる棺おけにしたもの)の写真を担当した本に掲載するため、高島市教育委員会に申請したことがある。
 一方的に著者への親近感が増した私がページをめくると、琵琶湖と地震の関係が簡潔明瞭に説明されていた。
 「この巨大な水溜まりは、周囲から流れこむ河川が運んだ土砂で、少しずつ埋められます。しかし、埋めきらないうちに次の地震(断層活動)で沈むので、巨大な湖として存続しつづけているのです。」
 要するに琵琶湖西岸断層帯が何百年ごとかに起こす地震で湖岸が崩れるから、湖としては世界的にも稀な長寿を保っているということ? 琵琶湖って、治らない傷みたいなもの? そもそも、私がこれまで読んできた本で「断層活動」と書かれていたのは、「地震」なわけ?
 ネットで検索すると、県立琵琶湖博物館の里口保文学芸員がちゃんと「地震」という言葉を使って説明していた。
 「湖が移動してきたと言っても、地震のたびに沈んでいく中心が北へ移動してきたと言う方が良いかもしれません。」
 滋賀県民なら読むか聞くかしたことがあるだろう、「琵琶湖は年間3cmの速度で北へ移動している」という説明(たいてい、何万年後だったかには若狭湾に抜けるという補足がつく)。単純に「ある期間の移動距離÷要した年数」なのだろうが、どうやら琵琶湖の移動の仕方は年平均してはいけない、平均化するとイメージをつかみそこねるものらしい。
 琵琶湖の歩幅はもっとでかい。
 次の一歩を踏み出すまでの時間はものすごく長いけれど。
 年間3cmずつなんていうと、ナメクジよろしく、
                                                  
ズル…ズルズル…ズルズル…ズルズル…ズル…ズル…ズルズル…ズルズル…ズルズル…ズル…
                                                  
という動きをイメージしてしまうが、正しくはシャクトリムシのように、
                                                  
      ピ             ピ            ピ             ピ
      ョ             ョ            ョ             ョ
      ン             ン            ン             ン
…………コ………………………コ……………………コ………………………コ…………

なのではないか。
 車輪走行の移動メカに乗ってたつもりが、上下動の激しい二足歩行ロボットだったみたいな……って、比喩はくどいか。

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