2015年 5月 24日

アルペジオ、アンサンブルー、アベノミクス

 前にとりあげた潜水艦アニメの映画版『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- DC』が1月に公開スタート。岸誠二監督は高島市出身。乗りかかった船というやつで、3月にイオンシネマ近江八幡にて鑑賞。
 私の願いかなわず、主人公の父、登場。どこかで見たような、ロリコン親父 VS 主人公で行くらしい。あんな世慣れた主人公に、いまさら父殺しは必要ないと思うんだが。
 中盤まではテレビ版のダイジェスト。新作パートで登場の敵キャラ「霧の生徒会」生徒会長の名前は、ヒエイ(原作漫画どおりで、滋賀がらみの名称は偶然)。彼女と主人公が顔合わせしたところでお終い。
 10月3日公開の続編「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- Cadenza(カデンツァ)」で、彼女は誰に恋するのだろうか?
………………………………………………………………………………………………………
 前にとりあげた彦根出身のシンガーソングライター、徳永憲の新作アルバム『アンサンブルー』が3月に発売。タイトルは徳永による造語で、「ブルー(悲しみ)の集合体」の意とのこと。
 そこはそれ、徳永憲なので、1曲目の歌い出しが「解体ショーのマグロと目が合う」。あろうことか、続いてマグロが話しかけてくるのだが、それへの返答が非情。
 前作『ねじまき』の、東日本大震災を引きずったシリアス路線にいまいちのれなかった私としては、シニカルさとユーモアが復活した今作の方が好き。ただし、4曲目(アルバムタイトル曲)は、歌詞が何を言わんとしているのかよくわからず。
 8曲目「なぜか席が近くなる女の子」は、歌詞が思わぬ展開をみせる失恋ソング。最後に告げられる真実に、悲しむより先に呆然とさせられる。
 10曲目「絵本のなかに」は、ブログの自作解説によると、子供の感覚で絵本に入り込めなくなった大人の悲しみを綴っているらしく、ある種の絵本にまじる説教臭さを皮肉っているのだと思った私は意図を読み違えていたことになる。それでも、童話中の呪いの言葉たちが飛び交う森に丸腰で放り込まれた怖さが味わえる歌詞と、セイント・ヴィンセントばりのギターにホーンがからむ後半の展開は、アルバム中の個人的ハイライト。PVが公開中。撮影地は、どこの湖畔だ?
………………………………………………………………………………………………………
 「ア」並びで入れてしまったアベノミクスは、第2次安部内閣の経済政策の通称。2年半前に「1930年代を忘れるな」の題で書いたとおり、アベノミクス(というか、第1と第2の矢だけでケインズ主義的政策という言葉を用いるべき経済政策)を私は支持してる。
 今年2月の休日、書店で『中央公論』2015年3月号を立ち読み。「発表!新書大賞2015」のページを見るためだが、ベスト10のどれにも興味がもてず脱力……いや、別に期待していたわけではないので、さすが「新書大賞」というべきか。
 新書総まくり座談会の宮崎哲弥(ちゃんとリフレ派に転向している)の発言だけ拾い読み。ベスト5の1冊目にあげているのが、松尾匡著『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(PHP新書)。「『期待』に働きかけるリフレ政策の重要性を熱く説き、左派、リベラル派の経済政策のワールドスタンダードを教えてくれる」とのこと。新書のコーナーで『ケインズの逆襲……』を探して、『中央公論』とともにレジへ。
 著者は、立命館大学経済学部教授。経済学部は、滋賀県草津市の「びわこ・くさつキャンパス」にある。
 本書中で重要性が説かれる「予想」の語は、宮崎哲弥が使った「期待」の語に差し替えた方がよいと思う。全体では「そうそう」が2分の1、「わからない」が4分の1、「それはどうなの」が4分の1ぐらい……っていうのは、前の「1930年代を忘れるな」でとりあげた柴山桂太著『静かなる大恐慌』と同じ。ちなみに、こちらの著者は、この4月に滋賀大学経済学部から京都大学に移籍してしまった。ちょっと残念。
 同じ松尾本として、2010年に出ていた『不況は人災です!――みんなで元気になる経済学・入門』(筑摩書房)も読む。デフレ不況の原因として、時系列で小泉政権と日銀の失策が説明されている。滋賀県民は、同じ立命館大学経済学部の松川周二教授が翻訳した『デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集』(文藝春秋)とあわせて読んで、坊主憎けりゃ袈裟まで式のトンチンカンなアベノミクス批判はやめよう(という言い方だと、私は経済政策以外の安倍政権の政策には批判的かのようだが、そういうわけでもない。2年前の特別秘密保護法の時は、治安維持法を引き合いに出す反対派を無知だと思った。現在国会審議中の安全保障関連法案についても憲法を持ち出してくる……以下同)。
 さて、ケインズ曰く、「完成に時間を要することは最善の計画の特徴のひとつである」。なんてすばらしい言葉だろう。載っていた本が見つけられないが、ケインズの経済政策をひと言でいえば、「不況時の節約は悪徳である」ということ。政府においても、企業においても、個人においても。真理だと思う。そろそろ常識になってほしい。ケインズ好きは、楽観的であることを信条としなければいけないのだが、いい加減疲れてきた。
 1930年に発表された「わたしたちは経済について、悲観論の重い発作に見舞われている」という文章で始まる論考(「孫の世代の経済的可能性」、山岡洋一訳『ケインズ説得論集』日本経済新聞出版社)で、ケインズはイギリスに現れた悲観論者の2タイプをあげている。
 A 事態は極端に悪くなっているので暴力的な変化以外に救われる道はないと説く革命派の悲観論。
 B 経済と社会の均衡がきわめて危うくなっているので、なんらかの方法を試すリスクをとることなどできないと考える反動派の悲観論。
 こないだ大阪で大騒ぎされたのはAのタイプだろうし、「新書大賞2015」2位の『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)の著者などはBのタイプだろう。
 松尾本にもどると、『ケインズの逆襲……』という書名は担当編集者が決めたもので、エリート主義的なところがあるケインズを、著者自身はそれほど好きではないらしい。ちょっと残念。
 出自も知力も抜きん出ていたケインズの場合、財務省役人や中央銀行職員といった世間的にはエリートの層すら「その程度のもの」とみかぎってて、上から目線の鼻持ちならなさを通り越し、私なんかには小気味いいのだけど。

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ