2007年 2月 03日

主人公2人が琵琶湖を見つめる小説

 1月28日付「読売新聞」の書評欄で、文芸評論家の川村二郎さんが新刊小説のあらすじを紹介している。
 「山上から見えたのは京都ではなく琵琶湖だった」
 「琵琶湖畔の彼の実家を弔問に訪れ、その後、比叡山を振り返りながら湖面を眺めている」 滋賀県が舞台になっているというわけで、読んだ。
 絲山秋子著『エスケイプ/アブセント』(新潮社)
 書店で手に取った段階で、「琵琶湖」という単語のあるページを探した。中編/短編の2篇からなっており、「琵琶湖」が登場するのは両方ともラスト、要するに先の書評は結末まで語っちゃっていた(笑)
わけだが、私は前にも書いたとおり、ネタバレを気にしない(以下もネタバレあり。未読の方は注意)。
 絲山秋子さんの本は、エッセイ集『絲的メイソウ』(講談社)を少し立ち読みして面白かったので、買ったことがある。長いこと新しい書き手のエッセイなどは読んでなかったので、「このやけっぱちな感じは今だなぁ」というふうなことを思った。それで本業の小説の方も読んでみようかと、書店で手に取ったことは何度かあったのだが、ペラッとめくったページに目を落としたかぎりでは、特にピンと来たことがなく、1冊も読んだことがなかった。まぁ、いい機会だということで、定価1260円なり。
 本を読むのが遅い私でもすぐ読み終わった。結論としては、これまでの書店での「ピンと来ない」は正しかったな。エッセイの方が面白い。
 一言でいうと、「絶縁状態にある双子の兄と弟が大津でニアミスする(最接近は京都だし、時差あり)」という話、「エスケイプ」が兄のパート、「アブセント」が弟のパート。2人が見つめる琵琶湖の湖面は鏡なんでしょうか。
 文章のスカスカ感は、例えば「エスケイプ」の中にある「窓からは木しか見えないけど、おれ、木の名前なんて一個もしらねーな」という兄の独白が示す、一人称小説ゆえの描写の少なさ(知っていることしか書けない)が原因というわけでもなさそうだし。もしや、どこまで内容的にスカスカでも文芸誌への掲載が許されるか検証してるのか?、と勘ぐったぐらい。いや、エッセイからすると、絲山さんってそういう性格だと思えるのである。

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