新撰 淡海木間攫

其の三十二 大津市千町の里山

里山

 いま「里山」の人気が高い。「里川」とか「里海」という新語ができるほど、この言葉は人の暮らしと自然との関係をたくみに表現しているが、それが指す実体は使う人によって同じではない。

 初めて里山という語を広めた四手井綱英さん(京大名誉教授・林学)は、農村に近い二次林で、薪木や農地の肥料の給源として利用されてきた、いわゆる「農用林」を指してこう呼んだ。しかし最近は、さらに山奥の、おもに炭焼き用の「薪炭林」までも里山に含める人が多い。すると、植林以外の滋賀の森林のほとんどが里山ということになるが、この二つのタイプの林は生態的にかなり違うので、私は四手井さんのほうに賛成したい。 大津市の千町のあたりに住みついて、十数年になる。千町の最も山手にある集落は、もうなかば山村という感じで、周囲を里山の林にかこまれている。当時は、ちょうど松枯れ病の進行中で、それまでは高木の主役だったアカマツが一斉に枯れ始めていた。

 農用林としての利用は、もう全く行われていなかった。放置された林がどうなっていくかに興味を引かれて、まず定点をきめて定期的に記録写真を撮り、あたりの観察も続けてきた。まずコナラなどの落葉樹がぐんぐん成長して枯れたマツに取って代わり、やがて下生えのなかからアラカシやソヨゴなどの常緑樹も伸び上がり始めた。やがて、落葉樹林期を経て近畿低地の自然林であるカシやシイの常緑照葉樹林へと移行していくだろう。ここまでは通説通り、予想通りだったが…。事態は、この路線からはずれた。定点の林の片隅にあった小さな竹林が急に拡大し始め、まわりの木々を枯らして、林全体を占領しそうな勢いになったのだ。見まわすと、あたりの里山の各所で同じことがおこっている。お気づきの方も多いだろうが、実はこれは、南西日本の里山で広く起こっている現象の一端にすぎないのである。

 里山にはどこでも、ふつう個人所有の小規模な竹林が点在している。マダケ・モウソウ・ハチクと種類はちがっても、どれも長く地下茎を延ばして広がる性質をもつ。地下茎は、まわりが農地・雑木林、植林、なんであろうと遠慮なく侵入して筍(タケノコ)を出す。筍は、伸びきるまでは地下茎から供給される養分で成長するので、暗い林内でも平気で育つ。もし成竹の高さが周囲の木々をしのげば、日射をさえぎって先住者を枯らしてしまう。

 その勢いは非常なもので、スギやヒノキの植林でも、そうとうな高さに成長した林でないとやられてしまう。今は、里山林と竹林のどちらも利用されずに放置されているので、竹林がとめどもなく拡大しているのが現状である。里山固有の多様な生物も、変化に富んだ景観も、どんどん滅びていくだろう。

 この現象は、例えば東海道線の山崎付近などでは、数十年前から顕在化しており、一部の先覚者たちが警告していたが、里山と竹の利用が急激に衰えるとともに、それが杞憂でなくなった。「里山を守れ」という声は高いが、今もっとも必要なのは、春に竹林のまわりの筍をもぎにいくボランティア活動ではないだろうか。残念ながら、その努力をしておられる方々はまだごく少ないようだ。

*写真:里山林を浸食中の竹林

滋賀県琵琶湖研究所 顧問 吉良竜夫

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