新撰 淡海木間攫

其の三十四 城跡をつなぐ「のろし」

のろし

 一部で、近江が「城の国」と呼ばれるようになって久しい。県教育委員会の分布調査では、琵琶湖畔や平野、山上に1300を超える城郭が確認された。確かにその中には、日本の五大山城のうち「小谷城」と「観音寺城」があり、日本の城郭の歴史を大きく変えた「安土城」が築かれ、国宝「彦根城」がある。しかし、ほとんどはわたしたちが住む裏山にひっそりと残る城跡である。昨今近江では、その存在すら忘れ去られてきた身近な城跡を再びよみがえらせようという活動が盛んである。遺跡の保存整備は、多くの場合、行政側から住民に働きかけるパターンが多かったが、近年の事情は住民自らが遺跡をどう活かすかを考え、さらにネットワークが広がっているのが特徴である。その発信源は鎌刃城(米原町)。そして、伊吹山麓の京極氏遺跡(伊吹町)に飛び火した。両遺跡は相次いで国の史跡となった。住民パワーが呼び込んだのだ。

 伊吹山麓のひっそりとした山里が上平寺地区(15戸)である。2キロほど東へ行くと、もう岐阜県関ケ原町になる県の北東端の集落だ。この小さな集落と京極氏の館跡を舞台に、秋の1日ここでひとときの戦国浪漫に浸ろうと、600人を超える人たちが集うイベントが行われている。平成14年(2002)からはじまった「上平寺戦国浪漫の夕べ」である。遺跡の概要については、サンライズ出版の本を見ていただくとして、イベントは、午後の歴史講演会、薄暮がかかってからは恒例の京極軍団出陣太鼓、演能や雅楽、フルートのコンサートなどがあり、聴衆は森閑とした林に流れる音色に魅了される。圧巻は庭園跡や参道を幻想的に演出する、区民手作りの3000本の行灯である。参加者は、猪鍋のもてなしに身も心も満足して、帰路につかれる。しかし、たった15軒でここまでたどりつくのは並大抵ではない。ほとんどの住民の方は、京極氏や遺跡について知らなかったことから、数年前から講師を招いた勉強会が行われ、共通認識を培われた。背丈をこえる熊笹に覆われた庭園跡や山城への道を刈り払い、間伐林や竹でベンチや階段を作る。有志といいながら、ほとんど「総出」である。子どもたちに誇れるふるさとを残すことが大きな目的である。さらにイベントは交流の連鎖を呼んだ。京極氏のつながりで、江戸時代京極藩だった香川県丸亀市に招かれ、上平寺が京極氏のふるさとであることをアピールし、甲良町正楽寺地区との交流も続いている。

 交流の最たるものが「近江中世城跡琵琶湖一周のろし駅伝」である。鎌刃城跡を舞台にすでに活発な活動をされていた米原町番場地区の呼びかけで始まったイベントは、今年も30の城跡を戦国時代の通信手段「のろし」でつないだ。伊吹町では、弥高地区の若手グループが、近江を一望できる弥高寺跡からのろしを揚げ、新たなまちづくりの1ページを開いた。各城跡では、行政を巻き込んだ歴史講演会やウォーキングなどが行なわれた。今後、のろしは東へ向うという。「いざ、鎌倉!」

*写真:伊吹町弥高寺跡で揚げられた「のろし」

伊吹町教育委員会 文化財係長 高橋順之

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