2010年 1月 02日

琵琶湖上で三上山に向かって「バカヤロー」と叫んだ中井正一 その2

[前回からのつづき]
 前回分で戦前期最大のエピソードを「琵琶湖」にからめてまとめられたのはよいのだが、この『中井正一伝説』の本文と年譜には、私が知っている出来事が抜けている。1937年のたぶん7月、中井たち『土曜日』の同人とその家族は、琵琶湖周辺へ出かけて『「土曜日」の一周年ピクニック』という映画を撮影しているのである。
 1995年(平成7)10月3~9日、山形市内を会場に開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の4日目、6日(金)午後6時30分から山形中央公民館大会議室でこの映画が上映された。上映前には、監督を務めた能勢克男の息子・協氏(美術家)によるお話もあった。
 この映画祭で上映された作品は278本、6つの上映会場で平行して上映されていくのですべてを観ることは不可能。私は1泊2日で6日と7日に14本観ただけ。最初に観はじめた『サタンタンゴ』(ハンガリー)が450分(7時間30分!)もあり、面白かったのだが、さすがにこれでは1日1本で終わってしまいまずいというので、第1部が終了して休憩になったところで退席。短編作品ばかりをテーマ別にまとめて上映していた別会場(中央公民館)に移動して、たまたま観ることになったのが、能勢克男監督作品『飛んでいる処女』(7分)と『「土曜日」の一周年ピクニック』(12分)だった。
 『飛んでいる処女』の方は、走行する市電の窓から頭上に網の目のように張りめぐらされた架線を撮影したカットは覚えている。琵琶湖疏水による水力発電で動く市電は当時の科学技術の象徴なのだろうし、溌剌とした女性車掌の姿=女性の社会進出と合わせて先端風俗に関心をいだく中井の好みも反映されているように思う。テーマは決まっているわけで、まとまりはこちらの方がよい。
 それに対して『「土曜日」の一周年ピクニック』はタイトルどおり、内輪向けのホームムービーである。同人とその家族が参加した公園へのピクニック、原っぱでのダンス、琵琶湖でのヨットクルージングのようすを撮影して編集したもので、「土よう日」と書かれた旗がはためくカットが何度もインサートされ、見ていて少し恥ずかしかった。同映画祭のパンフレットによれば、ベレー帽をかぶった中井正一も写っていたそうだが記憶にはない。夕暮れ近く陽が傾いて、デッキにいる男性2人の背後で湖面が輝くところだけがきれいで記憶に残った。
 上映された大会議室はイスなしのカーペット敷き(畳だったか?)、ビニール袋に靴を入れて座って(左右に余裕があれば寝ころんで)観る形で、観客は 40~50人だったか。私の前に、平日だというのに母親と来ていた少女がバレエを習っているのだろう、広げた足の間に上半身を下ろして床につける柔軟体操を作品と作品の間の待ち時間になるとやっていたのを覚えている。提供者・能勢協氏の話の内容は何も覚えていない。治安維持法違反での検挙時にフィルムが没収されたことなどが中心だったのではないかと思う。ピクニックの撮影地が琵琶湖だという話は出なかったはずで、私は後でパンフレットによって知った。とするとダンスを踊った原っぱのある公園は、長等公園(大津市)ではないかと思うのだが…。
 どうしても知りたいというわけではないけれど、10年余りにわたってもやもやとしつづけている疑問にようやく回答が…と、期待して図書館で本を手に取ったのだが、そうはならなかったわけである。

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