2013年 3月 20日

義仲寺の墓には参ったのか?――映画『シルビアのいる街で』

 まずは記事復活の件。
 2年半ほど前に小社HPの管理を委託している会社のサーバがクラッシュして、その後の復旧作業でももとにもどらなかった記事に含まれていた「たぶん社名の由来となった映画」のテキストが自宅のパソコンから見つかった。
 以前にいくつかパソコンに残っていたものは、改めてアップしていたのだが、ファイル名が社名+拡張子だったので気づかなかったのである。
 小社の創業者・岩根豊秀(1906-1981)は、昭和5年(1930)坂田郡鳥居本村(現彦根市)の自宅物置を改修してアトリエとし、ポスターやチラシの制作をおこなうサンライズスタヂオを立ち上げた。その社名は、湖畔の村で暮らす男が、都会からやってきた女に誘惑され、舟の事故を装って妻を殺そうとするが……という筋のF・W・ムルナウ監督作品『サンライズ』に由来するのではと推測したもの。故人に尋ねる術もないので真偽は不明。
 最初のアップ年月日(2008年12月27日)付けで再アップした。未読の方は、どうぞ。
       ◇       ◇       ◇
 じつは、サーバのクラッシュで先の記事が消えたのと同じ頃、映画『サンライズ』に影響を受けた作品が日本公開された。
 スペインの映画監督ホセ・ルイス・ゲリンの『シルビアのいる街で』(2007年 スペイン・フランス合作)。舞台は、フランスの古都ストラスブール。かつて出会った女性を探しに訪れた画家志望の男の3日間の行動が描かれる。
 この作品が好評を博し、その前後の作品あわせて8作を上映する「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」が昨年から全国巡回中だから、そのオフィシャルサイトをのぞいてもらうのが早いか。
 ムルナウの『サンライズ』が自分にとって重要な作品だと、ゲリン監督自身が語っていて、路面電車に女を追って男が乗り込み、二人の背後の車窓に風景が流れていくシーンは、『サンライズ』へのオマージュだと評される。
 加えて全体が、セリフを極力減らしたサイレント映画的手法で貫かれている。なにせ、本作のクライマックスの一つは、別れぎわの女が主人公に対し、「それ以上、しゃべらないで」という意味で、左手の人差し指を唇にあてる場面だ。その姿は男のスケッチ帳にも描かれて繰り返し映る。
 そして、その後(物語の残り3分の1)、主人公の男は女の呪文にかかったかのように声を発しない。バーでやけ気味に隣の席の女をくどく場面があるが、その声は店内のBGMでかき消されており、声をかけた女自体にもふられる。
 小難しい作品ではない。私が映画好きの友人へお勧め作品としてメールした時の文面は、「主役は、フランス人女性の顔、顔、顔、しぐさ、しぐさ、しぐさ(笑)」だった。
 いま探して読んだネット上のインタビューでも、ゲリン監督自身が、
「(15歳の頃、8ミリカメラを手にして)最初に撮ったのは、当時好きだった女の子たち、恋人たちの映像です。動画を選んだ理由は、スチール写真では彼女たちの美しさが撮りきれなかったから。美しさというのは、内側にあるリズムや呼吸によって醸し出されるもの。それを捉えるためには、時間が必要なのです」(ダカーポ「肖像画を映画で描く作家」)と語っているから、主人公同様、ただただ女性たちの表情や動きを見つめるだけでも見方としては間違っていない。
 さて、「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」の公式サイトにあるゲリン監督からのメッセージには、
「松尾芭蕉や小津安二郎の故郷であるこの国の方たちは、まだまだ未熟で不揃いな私の作品をどのように受け入れてくださるのでしょうか?」
と記されている。
 市販DVDについているリーフレットに掲載されている監督自身の解説には、次のようにある。
 「色々な要素を可能な限りそぎ落とし、最後に残ったもので表現するという私の映画作りの基本は日本の俳句からも影響を受けています。例えば主人公がシルビア(かもしれない女性)を見つける直前のシーン。カフェの彼が座っている席の上で鳩がフンをして彼は席を移動します。そして席を移ったおかげでシルビアを見つけるというあたりは、俳句からヒントを得ています。」
 これは、俳句というより俳諧連歌(連句)のことを言ってるのかな。明治以降、五・七・五の一句を独立した作品として鑑賞するのが普通になったけれど、本来は五・七・五の発句に七・七、さらに五・七・五、さらに七・七……と、複数の作者(一人でやる場合もあり)が前の句を受けて連ねるかたちでつくられた。その際には同一のイメージをつなげるのではなく、ある種の飛躍、変化が要求されたのである。。
 そう、日本文化に造詣が深いゲリン監督は、来日のたび、鎌倉にある小津安二郎の墓参りを繰り返している。最新作にあたる『メカス×ゲリン往復書簡』(2011)は未見だが、先の公式サイトに流れる映像の断片からすると、鎌倉の大仏に続いて映る踏切は、小津の『麦秋』で、主人公(原節子)の祖父が遮断機の下りた踏切の前で物思いにふけるシーンに登場した場所だろうか。
 DVDの特典映像のひとつ、「2010.7.4-5 新潟・出雲崎 良寛を訪ねて」では、手持ちビデオカメラで良寛像やその墓を撮影しているゲリン監督の姿が見られる。日本人からすると、シュールの域。
 欧米のアーティストの日本(東洋)趣味は、知らぬふりをするのが賢明な場合が多い(なお、小津監督の作風については、「サイレント映画」的シーンが強く印象に残るのは確かだが、「日本的」だとは思わない)。
 それは承知だが、「滋賀がらみ」のネタという当ブログの性格上、この方向でしか終われないのである。
 2012年7月3日(火曜日。知っていても勤め人は行けないではないか)には、同志社大学寒梅館クローバーホールで「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」が催され、ゲストとして来日したゲリン監督が約1時間のトークショーをおこなったらしい。
 同志社大学から地図上の直線距離なら10キロに満たない、大津市のJR膳所駅から徒歩10分、義仲寺(ぎちゅうじ)にある芭蕉の墓へ、ゲリン監督は参ったのだろうか? 本日、ネットを検索したところでは不明。

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ