2020年 11月 21日

読売新聞で『甲賀忍者の真実 末裔が明かすその姿とは』の著者・渡辺俊経さんが紹介されました

 
▼忍びの実像 官民迫る
……
▽土蔵から古文書
 
 主に東京での37年間の会社勤めを終え、2000年に甲賀市甲南町へ帰郷した渡辺俊経としのぶさん(82)を待っていたのは、ご先祖様の〈発掘〉だった。
 ルーツは江戸時代の「御忍(おしのび)役人」。430年来の屋敷で生まれ育ち、子どもの頃、祖母から「昔のように襲名したら、おまえの名は善右衛門(ぜんえもん)だよ」と聞かされていたが、忍者だとは思いもしなかった。
 帰郷直後、地元の甲南忍術研究会メンバーから偶然、「渡辺善右衛門を知らないか」と聞かれた。その名は、尾張徳川家に仕えていた忍びだという。「世が世なら私が善右衛門です」と答えたことをきっかけに、“ご先祖探し”が始まった。
 家系図などを調べたところ、確かに同姓同名の人物が尾張藩に勤めていた。さらに、屋敷裏の土蔵にある古箪笥から、157点の古文書を発見。藩の事情のほか、忍術や居合術、火術、体術といった兵法、家系、信仰について書かれており、実在した忍者の子孫であることを示す決定的証拠になった。
 
▽身分伏せ稽古に励む
 
 一連の資料が示すのは、渡辺家は戦国時代末期、織田信長に仕えた渡辺久綱が天正15年(1587年)、摂津国から甲南町へ移住したのが始まり。鉄砲や火術に秀でたことから、江戸時代初めに8代目が尾張藩に採用され、藩に用ができれば、馬で名古屋城下へ向かう非常勤の忍者だった。以後約190年間、自身の曽祖父に当たる14代目まで続いた。
 表向きは鉄砲指南役として毎年、射撃訓練に立ち会い、金5両の手当を受け取っていたという。忍びの身分は藩内では伏せられたが、秘密裏に「術数を尽くし、命を捨てて御用を務め、父子兄弟・親友にも他言しない」との契約を交わした。普段は地元で農民や庄屋として暮らしながら、様々な術の稽古に励み、他の城下への潜入活動もしたようだ。
 
▽20年間の成果 一冊に
 
 渡辺さんは甲賀忍術研究会長を2011年まで務め、その後も郷土史を徹底的に調査。20年間の成果を今年2月、「甲賀忍者の真実 末裔が明かすその姿とは」(サンライズ出版)にまとめた。 
 忍者といえば、漫画や小説などで、秘術を駆使し、戦いに明け暮れたイメージがあるが、渡辺さんは「忍術といっても突出した特殊技能ではなく、忍者も生身の普通の村人だった」とみている。「痕跡をたどるのは難しいが、どのように暮らし、技を磨いたのか、実像を伝えていきたい」と、探究心は尽きない。……(読売新聞2020/11/21)‬
 
甲賀忍者の真実 末裔が明かすその姿とは
ISBN978-4-88325-675-4
 

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