2011年 4月 04日

電子書籍の惨状

 昨年の電子書籍をめぐる騒ぎ(結局は、それに関する通常書籍の形式での出版ラッシュでしかなかったが)を見ていて思ったのは、「この煽っている人たちは、音楽を聴いてないんだろうな」ということだった。だって、一歩先にデジタル配信が主流になった音楽業界では、嘆きの言葉があふれていたのだから。
 すでに2009年の年末に出た音楽雑誌では、編集長が編集後記に「とにかく身銭を切って、音楽を買って欲しい。アーティストに還元して欲しい」と書き、その後もミュージシャンがインタビューで「1曲単位の配信ダウンロードが一般化して、アルバムにかけられる予算が減った」と話したりしていた。実際、どこの店舗でもCD売り場のスペースは縮小される一方である。
 昨年の年末、高校の同級生数人で飲んだ時、中学3年の息子を持つ一人が苦笑いしながら言った。「息子が音楽の無料ダウンロードの方法、教えて、言いよる」。40歳代前半の父は息子にいいところを見せようとするわけだ。ウェブ上の万引きとなると、道徳的な禁止の敷居はものすごく低くなる。仮に自分が高校生のころ、LPレコードを万引きしていたからといって、その方法を息子に教える親父というのは、そうそういないだろうに。
 もう、これで答えは出ているだろうと思わずにはいられないではないか。

 漫画関係の本でも同じである。2009年を総括する関係者による座談会での会話は以下のような具合だった。
「しかし、どこもここもウェブコミックサイトを作ってるね」
「雑誌がダメになるとウェブコミックサイトを作るんですけど、いまのところみんな失敗してます。」
「収益は単行本を作ってってことだよね。」
「課金はしてないんでしょ。」
「ほとんどは無料です。アメリカなんかはものすごい量の海賊版がネットで流れてるんですが、このあいだNHKの番組でアメリカのオタクというのが映ってて、みんなマンガ買うんですかって聞いたら、『マンガはネットで見るとタダですから』ってニコニコしながら言ってましたね(笑)。翻訳したものがアメリカでも中国でも流れてる。」
 これも状況はずっと変わらない。「過渡期だから」といった言い訳が通じる期間はすでに過ぎているように思うが、違うのか。
 最近、講談社が漫画の電子書籍に力を入れているというが、飽和状態とというより数が多すぎる漫画家と漫画誌の避難所でしかないだろう。ケータイコミックの頃から、人気が出たら通常書籍の単行本化というパターンだし。私はこれに文句はない。ブログが人気でたから単行本化というルートにも文句はない。多くの書き手は、書籍という形になることを望んでいる。
 それもさらにデジタル配信が一般的になると、それだけで完了してしまい、作者にとっては酷い状態になる。
 アメリカでは、新人バンドが音楽共有サイトで一時人気になったのはいいが、すぐ忘れ去られて、CD化できなかった(ミュージシャン本人は、最終的にはCDという実体のある形になることを望んでいる)といった話が音楽雑誌に載っていた。日本でもyoutubeでライブ映像が話題になったバンドのCDが発売されたりしているが、数年後には同様のバンドでも、「さぁCD化という頃には過去の人」といったことになるのだろう。

 3月半ばに出た山田順著『出版大崩壊―電子書籍の罠―』(文春新書)は、電子出版ビジネスに携わってきた著者が数々の実体験をもとに電子書籍の惨状を報告した本である。
 この著者の山田さん、父親は芥川賞・直木賞の候補に計8回なったことのある私小説家・津田信(完全に今では忘れ去られた作家で、私も知らない)だそうで、さすがその息子というべきか、自身の見込み違いも赤裸々に書いている。失礼なことだが、何カ所かで大爆笑させてもらった(よい私小説は滑稽なものだ)。
 繰り返すが、発展途上の分野だから成功例が少ないというわけではなく、すでにアメリカの出版業界や新聞業界、レコード業界、ゲーム業界が産業全体として縮小した=その後を追う必要はないということで結論は出ている。デジタル配信を行えば、質を維持したままでの再生産が不可能になるということだ。

 ロサンゼルス在住の自称IT企業家に振り回された失敗談を書いた第9章「ビジネスとしての電子出版」には、「IT側人間はコンテンツに愛情が足りない」という項がある。愛情が足りないというより、わかっていないのだと思う。
 去年、テレビ東京の番組「カンブリア宮殿」に出ていたソフトバンクの孫正義にしても、その発言を聞くとコンテンツというものがわかっていない。たまたまつけたらやっていたので途中から見ただけで、正確ではないかもしれないが、「出版社は、とにかく早く電子書籍に参入すべき」といったことを言っていたはずだ。
 彼の頭の中には、携帯市場のような限られたパイをめぐる分捕り合戦のイメージしかないのだろうが、コンテンツ(こんな大げさな言葉を使うのもアホらしい。単に本や音楽)とはそういうものではない。遅れて参入しようとかまわないのである。少量多品種でどんどん更新されていくものだから。
 会社名の連呼とバナナの叩き売り式の営業は、どこの出版社もやってはいない。韓国の芸能プロダクションは新人育成に5年かけるだろうし、ハリーポッターシリーズ日本語版の出版社の名前を知っている人などそれほどいはしない。

 再び話を『出版大崩壊』に戻すと、一面的にすぎるので反論したい部分もある。
 まず、第4章「岐路に立つ出版界」で、「出版業界は総崩れ」と言っている点。
 著者自身、勤めていた光文社が業績悪化、希望退職したわけだが、そうした業界大手の斜陽化は、他業種大手や世代間格差が問題になっている大学で起こっていることと同じなのではないのか。ほとんどが中小企業で、高給取りでもない出版社の社員は、彼らの問題と自分たちの問題を同じと考える必要があるのだろうか。
 本書の中にも「(新刊書の刊行点数は)1989年には約3万8000点だった。それが、2008年には約7万6000点と倍増」と書かれている。書籍は供給過多なのだから、大手が最盛期のままでいられるわけはないだろう。
 二つ目は、これも大手出版社社員だった著者だからであろう、自費出版に対する偏見。大手出版社に相手にされなかった三流品の原稿=自費出版という形しか著者の念頭にはないようなのだが、明らかに認識不足だろう。自費出版の多くは、対象地域なり対象読者層が限定されているために、読者数が採算ラインに達しないことを著者自身が認識しているから製作費を出す、という構図で成り立っている。
 ついでにいうと、自費出版業界にいる者は、より多くの人にあなたの本が届く(かもしれない)という電子書籍が振りまく幻想には、文芸社の商法でほとほとこりているはずだ。

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