近江大篠原の歴史
大篠原郷土史編集委員会 編

菊判 415ページ
2003年07月 発行

内容紹介

 山紫水明の地、大篠原の有史以前からの自然と人とのかかわりあいの中で刻んできた歴史について、先ず地勢と珍種や絶滅の心配される品種の植物、昆虫、鳥類、獣類などの生物について記し、地球の誕生から古代、中世、近世、近代、現代と時代別に、史実を基にした歴史を記した。神社仏閣の歴史は、分かりやすいように宗教史として別章にした。
 有史以前については、地勢の変化や向山北麓で発見された石器などを記した。
 古代においては、5世紀末以降といわれる天日槍の伝承の須恵器の古窯跡群、それ以降に造られたと考えられる古墳群について述べ、大和政権の頃に造られた東山道の経路と篠原駅家の位置について、最近の通説と異なり、大篠原の南山麓附近を通り、大篠原附近に駅家があったとの内容を記し、その根拠について詳述している。
 また、6世紀に百済より従者700人余と渡来した鬼室集斯の墓について、通説である日野説と異なり、史実を基に大篠原にあった内容を詳述している。
 さらに、日本書紀に記載の7世紀に発見された醴泉と、その近くにあった益須寺と都賀山の位置について、通説である守山説と異なり、大篠原岩蔵寺付近にあったとの説を紹介し、その根拠について詳述している。
 また、伝承の幻の集落、「のどの千軒」について、現地調査を基にその位置と遺跡について述べ、現在の県立希望が丘文化公園内の東北部にあったらしいと推定している。
 平安時代より室町時代にかけて、大篠原に関して詠まれた歌や物語を紹介し、大篠原の時代による変化の模様を類推している。
 宗教史については、古代に伝教大師によって建てられたといわれる岩蔵寺とその本尊と十二神将、その六坊のこと、中世になって馬淵氏によって建立された国宝、大笹原神社と境内社の篠原神社(別名、餅の宮)、当時存在した岩蔵寺六坊、および正法寺、弥勒寺など八か寺や極楽寺などと、その遺跡のこと、それらが戦国時代以後歴史から消え、以後浄土宗の四か寺が歴史に出現し、現在に至ることなどを記している。そして、宗教的伝承行事としての、天王神事、各種宗教講などを記している。
 中世では、近江源氏佐々木氏の台頭とその一族馬淵氏の大篠原領主としての活躍、その臣、永原氏の台頭、その他多くの戦いの記録と、古城(岩蔵城)、弥勒寺城、星が峯城などの城跡の調査、岩蔵寺の本尊と十二神将の巖穴への避難や、住民の避難などの戦争災害と人々の苦しみを述べた。また、古代同様、歌と物語を紹介した。
 近世では、幕藩体制下での大篠原を中心にした仁正寺藩の治世の状況、経済状況、特に藩主催の講や一般の金融講、近江商人の活躍などを述べた。そして、飢饉の多発と米価の変動、人々の暮らしの苦しさと藩財政の逼迫、その改革に立ち上がった藩勝手方取締、中山道往来の出来事や、山の境界論争、幕末に黒船襲来に備えた大阪湾沿岸防御に出陣など、新史実を基に記した。
 近代では、明治維新における行政面や教育面での諸施策の具体的史実のいくつかを紹介し、また、西欧資本主義経済の導入による銀行や会社の設立、個人企業の発展、農林業の改革など、そしてそれらと関係する各種金融講などについて記した。学校教育についても史実を基にその推移を記した。
 現代においては、農地改革と農林業の変遷、多くの工場の進出と生活環境の変化、教育改革の推移、警察行政としての篠原駐在所、大篠原の2大特産品、篠原糯と篠原土、そして女性の暮らし、冠婚葬祭や区の年中行事を記し、最後に新しい21世紀の大篠原を目指す決意を述べている。
 付録資料といて、大篠原の遺跡一覧、住民の屋号と家紋一覧、過去の役職者一覧、戦死者の一覧を記している。
 なお、口絵のカラー頁は、大篠原の国宝、重要文化財、および植物、昆虫、鳥などの写真を20頁にわたり掲載している。

   

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