2008年 12月 20日

彦根城下町検定合格!

ちょっと、心配していましたが、本日合格証が届きました。
0812201.jpg
点数は80点が合格で、86点。
平均は71点、合格者51名、受験者155名だったそうです。
最高は97点だったと聞きます。
結構知っていそうで知らない地元のことがいっぱいあります。
まだまだ勉強が足りないってこってす。

また、来年もあると思いますので、ご興味のある方はぜひ
『彦根城下町検定公式テキストブック』で勉強してくださいね。

2008年 11月 23日

11月23日佐和山城跡には「戦国ギャル」が。

毎年11月23日は晴天に恵まれている。
私が記憶しているのはこれで7年連続のような気がする。
そして7年目にして初めて11月23日に佐和山城へ登ってみた。

すると……、
あれーっ!!
この方はぁぁぁ

0811231.jpg

なんと、三成さまが彦根城を睨んでおられるではないか。

0811232.jpg

いえいえ、本日は第7回「琵琶湖一周のろし駅伝」でございました。
というわけで、石田三成、真田幸村、そして雑賀孫一と三武将参加しての発煙。

磯山からつながった狼煙は佐和山を経て、山崎山へ。

0811233.jpg

無事、のろしがつながり、記念撮影。
おやまあ、なんと女性の多いこと。
佐和山は今や「戦国ギャル」のメッカなのだ。
今年の4月のイベントほどではないものの、
きっと、今日の「のろし駅伝」に参加した山城の中で、一番女性が多かったに違いない。

「佐和山→女性」と言えば、
第1回からずっと佐和山部隊の重責を担っている
佐和山城郭研究会の田附さんだが、
彼女もこの「戦国ギャル」現象には驚いておられた。
0811234.jpg

無事のろしが終ったら、三成さんと新しいバージョンの
しまさこにゃんのツーショット撮影会が始まっていた。
さてさて、写真を撮っているみんなは、どちらを焦点にしているのかな?

そして午後、佐和山の麓、清涼寺前の広場に行くと、
またまた、女性がいっぱい。
みんな一斉にカメラを向けている。
誰が来ているか思いきや……。

0811235.jpg

「ひこね街の駅 戦國丸」の、
しまさこにゃん、いしだみつにゃんに続く、3体目のきぐるみ
「おおたににゃんぶ」のデビューだったんね。
「ひこね街の駅」のみなさん、御苦労さまでした。

0811236.jpg

思い起こせば数年前、上平寺で鎧・甲冑姿の男性とお知り合いになり、
「へえーっ、いろんな趣味の人がいるものだ」と思っていたが、
本日、麓の会場で、その「戦国オジサン」に出会い、思わずハグしてしまった。
東京の某公務員さんとお聞きしているので名前は伏せるが、
どういうわけか、お城イベントで出会う御仁。
ちなみに、今日は甲冑姿ではございませんでした。

2008年 11月 21日

イヌワシとクマタカ

イヌワシとクマタカ

『空と森の王者イヌワシとクマタカ』を発行して1ヵ月。
今日の京都新聞朝刊は大津市フォレオ一里山にオープンした
大垣書店さんの広告にこの本を紹介したのだが、
タイミングよく、滋賀版に本の紹介記事が掲載された。
 

さて、著者・山崎亨さんの名前を知ったのは確か8年ほど前だったと思う。
山崎さんより以前にイヌワシを追い続けている写真家須藤さんのことを知り、
その後、ラジオでイヌワシ研究会の山崎さんの話をラジオで聞いた。
そのときは、滋賀県の職員さんとは知らなかった。
 

そして、2年ほど前から編集のKが「森と湖の生き物」シリーズに
取りかかっていた。山崎さんはすでに県職を辞めてイヌワシの研究と
保護を仕事としていた。
この本を読めば、山崎さんとイヌワシ・クマタカとの出会いもわかる。
 

2日前に、全国の約800店の書店へ2冊目の本、
『ドングリの木はなぜイモムシ、ケムシだらけなのか?』とともにFAX送信したところ、
県外の書店から注文が入ってくる。なかには7冊、10冊と書かれていて、
びっくりしたのだが、よく考えてみれば、滋賀県は環境熱心県、
そして日本のほぼ真ん中に位置しているため、生態系の北限・南限の境界位置でも
あり、「森と湖の生き物」は県外でも読まれる本なのだ。
 

実はシリーズ化に当たり、定価や発行部数について、論議も交わされた。
ただでさえ、本をなかなか置いてもらえない、すぐ返品されるこの時期に
シリーズが続けていけるのか、広報をどうするかなど、いろいろあったが、
のめり込む性格のKは意志をまげなかった。
そして今回の本は、今話題のダム建設関係者にも必携の書でもある。
 

「森と湖の生き物」シリーズはイヌワシやクマタカと同じく、
どこの書店にも並んでいる本ではないけれど、
目に留まれば、きっと小躍りしたくなるようなシリーズになればと願う。

2008年 11月 16日

ムカゴ採りでイモムシ君と遭遇

秋の楽しみといえば、ムカゴ採り。
ムカゴごはんにしたり、フライパンで炒って塩とか醤油で味付けしたり、
結構おいしいのです。

そんなわけで、先週の休みはムカゴ採取していたところ、
先客がいました。

0811161.jpg

あらま、イモムシ君はドングリが好きだと聞いていたけど、
ムカゴもお好きなんですね。
ところで、あなたはなんてお名前なんでしょ。
イモムシ図鑑を見たけど、あんまりにも多くてどなたか
お名前がわかりませんでした。
なんとまあ、イモのツルを短い脚で掴んでいること、お見事です。

そういえば、今月末には『どんぐりの木はなぜイモムシ、ケムシだらけなのか』
という本が出るのでしたっけ。

2008年 11月 16日

大阪駅で見つけた癒しのキャラ

久しぶりに大阪駅を降りたら、「大阪駅開発プロジェクト」なるものをしていて、
通路が迷路みたいになっていた。
そこで、見つけたのが、ブルーナさんのイラスト。
2011年にはアクティ大阪と新北ビルを結ぶ通路ができるそうな。
その紹介をしているコーナーにツカツカと入って、
真っ先にパンフレットをゲットしてしまった。
ついでに写真もね。

0811155.jpg

そして、迷路のところどころにはお知らせやお詫びのポスターが
貼っている。もちろんブルーナさんのイラスト入り。
「ご不便をおかけします」と、ブルーナのキャラクターが
お知らせしているのを見ると、イライラも少し解消し、
そして「あー、あのポスター欲しい」と思う人は
きっといることだろうなぁ。

もちろん私もその一人なんだけど。

2008年 11月 11日

単なる木切れと思っていた木簡、実は……

来月発行する『地方木簡の世紀』。
夏に安土城考古博物館での展示と講演会の記録を1冊の本にするお仕事で、
担当者から「いやぁ、展示は木が並んでいるから地味ですよぉ」と言われていた通り、
木簡のことをほとんど知らない私にとって、展示はホントに木切れが並んでいるだけで、
「フーン、こんなに大きいのやら、切り込み入れた棒切れなんや」という感覚でしか
ありませんでした。

でも、講演を聞き、そして仕事に取り掛かって少しだけですが、理解できました。
まず、木切れは要件を書きとめて、用が終われば、折って捨てられたりするもの、
再利用したり、字を書く練習をするために、木を削って何度も書いたりしていたりしていた
のですね。だから、発掘をして出てくる木簡は棒状のものから削りかすまでいっぱいある
わけですが、それをひとつひとつ読んでいくわけらしいです。

かすれて読めない字は□□となるわけですが、赤外線テレビカメラで見ると、かすれた文字が
解読できたり、パズルを解くようにして文字を読み説いたりして、ひとつずつ古代の歴史が
解明されていく大事な史料なんですね。

そこで、西河原遺跡群から出土した木簡はどんなものがあるかといえば、
まず稲の運搬を馬で運ぶ予定を舟で運んだという木簡があります。
荒神山の麓・平留(彦根市石寺)から中主の西河原まで
琵琶湖を丸木船で運んだのですね。
また、「出挙」(すいこ)をあらわす「貸稲」の文字が書かれた木簡があるということも
知りました。「貸稲」というのは、農民に種もみを貸し付けて、
収穫時に利息をつけて返してもらうというもので、
当時、木簡は借用証書でもあったわけです。

2008年 10月 26日

雨にもめげず、ゆるキャラまつり

昨日赤玉神教丸で開催された江竜喜之先生の講演会は、
告知が遅かったにもかかわらず、超満員で大盛況でした。
来月には「近江路を歩いた人々」の演題で横浜で講演をされる
江竜先生の講演(入場料1000円)が今回は無料、
しかも普段は非公開の神教丸が会場。
とても気さくな先生は、机と椅子を用意していたのですが、
皆さんと目線が同じがよいとのことで、お座敷に座っての講演でした。

旅日記から鳥居本の様子を抜粋した資料を元に楽しいお話していただきました。
また明治天皇御聖蹟碑の多くは軍国主義だった昭和10年代に建てられたというお話もあり、
神教丸前の石碑も昭和14年建立されていたことをご紹介されました。
これからの街道歩きをするときのチェックポイントをひとつ教えていただきました。

さて、昨日25,000人の人出だったという「ゆるキャラまつり」、本日はど

うだったかというと…。

0810261.jpg

雨にもかかわらず、大勢のお客様が来られていました。
傘がいっぱいで、ステージのキャラはほとんど見えません。

0810262.jpg

それよりも、知り合いの方がたくさんボランティアスタッフとして、参加されていました。
こちらは、ゴミ分別ステーションで、鳥居本本陣のご当主に出会いました。
鳥居本宿場まつりでは、ヴォーリズ氏設計のご自宅を開放しておられるのですが、
午前中は、ゆるキャラまつりのボランティア、そして午後は宿場まつりの本部席スタッフ。

0810263.jpg

さて、カニのイラストを帽子につけているのは、彦根市の観光ボランティア・岡さんです。
岡さんのご出身地は兵庫県香住町なので、今回は香住町ブースの助っ人でした。
その他にも、市役所の多くの職員さんが、ボランティアスタッフとして、参加されている様子を
あちこちで見かけました。みなさん、雨のなか、本当に御苦労さまでした。
一度見てみたかった俊敏な動きのせんとくんは、昨日のみの参加だったそうで、
残念ながら、出会えませんでしたが、一番気になったのが、このサルです。

0810265.jpg

小生意気に、人間と同じ?レインコートを羽織り、一人で風切って歩いているのです。

ムッ…………、あっ、ちょっと私も冷静さを逸脱していました。

あのサルは何者?とネットで聞いたところ、友人が「飛騨高山の住人 kuu」だと教えてくれました。
なんでも、着ぐるみが着ぐるみを見にきたらしいです。
Kuuは着ぐるみというより、むしろ「コスプレぐるみ」という感じです。
あの後、kuuはどうしてたんでしょうか?
ちょっと気になりました。

2008年 10月 24日

秋はイベント満載

先週の日曜日、家を出ようとしたら玄関で数人の声が……。
あっ、そうか。今彦根ではスタンプラリーが始まっているんやね。
私の家の前には合羽の看板がぶら下がっていて、いつもラリーの
スタンプを置いているので、その押印に立ち寄られた親子連れだった。
 
さて、今月25~26日は「ゆるキャラさみっと」が彦根で開催される。
心配していたお天気もたぶん大丈夫の模様。あとは、交通渋滞に
どう対処するか、進行はスムーズにいくのかどうか……。
先週の休日はそんなにお城は混雑していなかったから、きっと
今週はドッと人が押し寄せそうな予感。
早くからこの企画をしていたAさんはいろんな難題を乗り越えてきたが、
若いうちに試練を受ければ、きっと血となり、肉となろうぞ。
 
25日と言えば、新潟を中心にのろし駅伝があり、湖北の城郭が参加するらしい。
 
そしてお膝下の鳥居本では、なんやらイベントがあるとかで、
急きょ私もそのひとつのイベントの担当をすることになった。
詳細は聞いていなかったのだが、社長から「頼むね」と言われていたのを
ツラツラ考えると…、
「あっ、私が講演会の司会をするのかいな」
「そりゃそうよぉ」
 
はい、了解しました。

……、というわけで、25日午後1時30分、
お時間のある方は、赤玉神教丸にお越しください。

2008年 9月 28日

ワン丸くんと遭遇

彦根城内に向かっていたら、なんかマイクが響いている。
何かと思ったら、あらま、ひこにゃんとのコラボでしたか。

0809282.jpg

昨日、犬山城のキャラクターが彦根城に来たと聞いていたし、
今朝、そのヌケガラを博物館の裏手でチェックしていたが、
運よく、彼と遭遇できました。
それにしても、犬山のキャンペーンクルーのお姉さんの司会はお上手でした。
やっぱり観衆はひこにゃん目当てなんで、
「たまには、ワン丸~って声かけてくださいねぇ」

彦根のANさんは、ひこにゃんキャンペーンの最初の頃、
「僕、ホンマはすごく恥ずかしいんよ」って言ってはったけど、
彦根の観光を背中にしょっておられたし、それよりも何より
ひこにゃんに愛を持っておられたのです(変な意味ではなくて)。

きっと、あのクルーのお姉さんも同じだろうな。

0809281.jpg

0809283.jpg

お互いにぬいぐるみの交換しているけど、
どうも仕草がワン丸はぎこちないのよね。

ちなみに、このブログを書くまで、私は犬山城キャラの名前を
「犬丸」だと思っていました。
お知り合いの滋賀県内のおじさま方には、
ひこにゃんのことを
「ひこちゃん」とか「ひこやん」という方もおられましたっけ。

でも、もうそろそろ「ひこにゃん」と認知しているかも……。

2008年 9月 8日

年賀状デザインがよみがえった

夏の初めにとてもうれしいニュースがあったのだが、ようやく解禁!!

実は、父が描いた年賀状デザインが郵便局で受け付けている年賀状印刷に採用されたことです。

200809072.jpg2008090702.jpg
元々サンライズは謄写版印刷から出発した会社で、年賀状印刷は残された作品から見ると、昭和6年から
初めています。 当時はまだお年玉はがきが発売されていない時代で、私製はがきに印刷していました。
ウシはおそらく郷土玩具からヒントを得た作品だと思いますが、当時、創業者の岩根豊秀は一人でデザインから印刷までこなしていました。

昭和40年頃だったかと思うのですが、現在のように年賀はがきの予約注文などなかった時期、私たち子供は年賀状発売日には、郵便局で年賀状を買うため並びに行ったこともありました。
今から36年前の年末のこと、家族用に印刷してくれていた年賀状がみんなに使用されてしまい、私の分が無くなったことを知った父は、特製年賀状を私用に作ってくれたことを思い出しました。オレンジのウシの絵と文字は銀の2色刷りでした。
世の中はめまぐるしく変わったけれど、こうして年賀状のデザインがまた蘇ったことは何よりです。

ちなみにネット注文も開始されています。
ウシは268-C 、ヤッコダコは269-C

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ