インタビュー1:「健康」をキーワードにすれば、いろいろな展開ができると思っています 館長 長峰徹さん

「くすりのまち 甲賀」の歴史

配置売薬に用いられた行李

配置売薬に用いられた行李

──長峰館長には、本誌116号(2015年夏)で甲賀市甲南ふれあいの館所蔵の「甲賀の前挽鋸」を取材した際にもお世話になりました。

長峰 当時は甲賀市教育委員会の職員で、定年退職して、当館の館長となり、まだ1年と少しです。当館は商工労政課が管轄する施設で、もともと開館以来の管理・運営は一般社団法人滋賀県薬業協会が指定管理者として行っておられましたが、昨年度から甲賀市が直営で管理することになったんです。

──なるほど。まず、「くすりのまち 甲賀」の歴史をお聞きしたいのですが、いわゆる配置売薬※1にが盛んだった地域としては、甲賀のほかに、越中富山と奈良県(大和)を聞いたことがあります。

長峰 富山売薬、大和売薬、近江の甲賀・日野売薬、それから九州では佐賀県の田代売薬。以上が四大売薬といわれています。同じ近江でも甲賀と日野とは成り立ちが違うんです。日野町の方は、近江商人が業種の一つとして製薬と売薬も行ったのが始まりです。

 甲賀の場合は、山岳修験道場であった飯道山※2にの山伏が村に定着して、多賀大社の使僧としての役割を担います。お多賀さんのお札を配って各地に多賀信仰を広めていくと同時に、勧進を請け負うのが仕事で、そこで得たお金で多賀大社の造営をしたり、修理をしていました。そのお札配りの土産に、薬をつけていたようなのです。

 それが、明治維新後に大きく変わります。廃仏毀釈によって多賀大社にあったお寺も全部なくなってしまい、明治5年(1872)に「修験道禁止令」というものが出されて、山伏も全員還俗させられます。

 そこで、今度はお札を配っていた先に薬を売り歩くようになったのが、甲賀売薬の始まりだと考えられています。

──失業したけれど、経験を生かして自立したわけですね。配置売薬というのは、いつごろまで盛んだったのですか。

長峰 配置員さんが800〜900人ほどおられた昭和30年代からはずいぶん減りましたが、いまも60人ぐらいおられるんじゃないですかね。都道府県知事から許可を得た配置員さんが、契約している複数の製薬会社から薬を仕入れて、個人で営業しておられます。

 昔は、こうもり傘を持って、角帯を締めて、背中に背負った五段重ねの柳行李に補充用の薬と紙風船など土産の品などを入れ、薬箱を置いてもらっている家庭を回られました。今でも販売許可を得た地域に決まった宿があって、2〜3カ月滞在しながら、バイクで回っている方もおられますし。

丸薬を数えるための匙

常設展示室に並ぶ薬の製造用具。写真は丸薬を数えるための匙

──行動範囲はどのくらいだったのですか。

長峰 なかなかそれがわかる記録がなく、甲賀では研究が進んでいない部分なのですが、私が知っている範囲で、北海道や青森に行っている人もいたし、九州、四国も聞いています。

──この地域に県外から製薬会社が来たのはいつ頃からですか。

長峰 塩野義製薬(シオノギ)は、昭和21年(1946)に油日農場を開設しておられますから、戦後まもなくです。

 会社の出入りがありますが、甲賀市には13〜14社の製薬会社があります。塩野義さん以降も滋賀県へ製薬メーカーの工場進出が続いたのは、もともと甲賀や日野に薬の伝統があって、戦前から薬産業を振興していくための基盤なり組織なりが、他の地域よりもしっかりしていたからだといえます。

薬研

薬研。舟形のくぼみに生薬を入れ、軸のついた丸い円盤を前後させてすりつぶす道具

 明治時代半ばには、個人営業間の競争による乱売なども起こりますが、やがて組合もつくられ、近代的な製薬業としての形が整えられていきます。明治32年(1899)には、甲賀郡に初めて薬を製造販売する株式会社ができました。大正3年(1914)に制定された「売薬法」によって、資格のない個人による調剤が禁止されると、家内工業的にやっていたところでも、薬剤師を雇い入れた共同製剤所などで製薬するようになります。

──薬が身近な地域だったわけですね。

長峰 高齢者の方に会うと、家で薬をつくっていたとか、薬を売りに行っていたという話はよく聞きます。もともとは農業だけでは食べていけないから、農閑期に薬旅(配置売薬業)に出られるようになったのでしょうが、すでに農業のほうが副業みたいになっておられて、「自分の家は薬屋だ」とおっしゃるんですよね。

──館で展示されている薬関係の品々は、どうやって集められたのですか。

長峰 すべて寄贈していただいたものです。細かいものを入れれば、1,000点近くあるだろうと思います。大事なことは、これをちゃんと目録化し、薬屋さんだった方から聞き取りをすることです。この道具は何のための道具なのか、どういうことに苦労してきたのかといった話を全部集めて、モノにまつわるストーリーをふくめてしっかりまとめていく必要があります。

「救命丸」と風邪薬「ヘブリン」の包装紙

近江売薬株式会社の「救命丸」と風邪薬「ヘブリン」の包装紙。ともに馬印の商標がデザインされている

 私は教育委員会にいた経験もあるので、これらの文化財的な価値を高めていきたいなと思っています。助けていただく作業員の方にも来ていただきながら、整理を進めているところです。

──そのうち薬の袋ばかりを展示した企画展などもできそうですね。

長峰 はい。「馬印」という、近江製薬や甲賀神農会などの製薬会社が使っていた独特の商標もあっておもしろいですよ。私も由来を知らないのですが、薬袋に馬が2頭描かれていたり、跳ねている馬もあったり。「甲賀の馬印」として広く知られていました。

──レトロなデザインで、興味のある人も多そうです。


※1 配置売薬 得意先を訪問して薬を置き、次の訪問時に使われた薬の代金を徴収する、日本独特の医薬品の販売法。

※2 飯道山 甲賀市と湖南市の境にある山で、標高664m。奈良時代に創建された飯道神社が南山腹にある。


明日の薬業界を担う人材育成を目指して

──地域の歴史を子どもたちに伝えるのが、館の役割であるわけですね。

長峰 当館は、決して歴史オンリーではありません。奥深い歴史があって、甲賀で薬業が発展してきたということを知ってもらったうえで、明日の薬業界を担ってもらえるような人材が育ってくれること、地域の産業振興も目的としています。

 また、薬は健康にも役立つものですから、健康に関する情報発信も行っています。

──体験学習などに訪れるのは、市内の小学生が中心ですか。

長峰 他に、草津市にキャンパスがある立命館大学薬学部の新入生や、会社の新入社員の研修にも利用いただいており、一般の大人の団体もお見えになります。

 本来であれば、そうした活動を大々的に展開していきたいところなのですが、現在は新型コロナの影響で抑え気味になっています。忍者の「兵糧丸」をつくる体験学習では、水を加えながら手でこねて、小さく丸くし、最後に蒸して食べますからね。もちろん手袋をはめてやるのですが、現在は開催を取りやめています。

 当館の体験学習でつくるのは、材料に生薬と腹持ちのよい原料を使った「兵糧丸」という忍者の食料で、それを薬研を使い、昔ながらの方法で作っていきます。

──できれば体験学習のようすを撮影して掲載させていただきたかったのですが、何かございませんか。

長峰 「紫根染め」の体験学習でよければ、12月17日に油日小学校の6年生たちが、体験学習を行います。ムラサキ※3という古くから根が染料に用いられてきた植物を、塩野義製薬さんの油日植物園が油日小学校と連携して校庭に植えられ、それを採取して「紫根染め」をされます。

 同じ学校関係でいうと、甲南高校には「バイオとかがく」系列※4というものがあって、薬学の森田和行教諭がおられます。森田先生と連携しながら、当館で体験教室を開いてもらうこともあります。

 令和2年(2020)10月から11月にかけては、「甲賀忍者に学ぶ薬草健康術連続講座」と題した大人向けの講座を催し、森田先生とハーブインストラクターの竹中島みちよさん、三重大学名誉教授の山本好男先生に講師を務めていただきました。みなくち子どもの森へ出向いて、薬草探しをする回もあって、大変好評でしたので、こうした連続講座は今後も続けていこうと思っています。

体験学習室での「紫根染め」体験のようす

──身近な植物に関する知識が健康につながるわけですね。

長峰 その辺に普通に生えているヨモギも、よもぎ団子やよもぎ餅はご存知でしょうが、薬効があります。止血剤にもなる。最近、甲賀では、ドクダミを栽培してどくだみ茶などを売り出そうかと考えている方もおられますので、そういう方とも今後連携していかないといけないなと思っているんです。

 ですから、今後、当館のあり方として、単に「所蔵資料を展示したので見にきてください」というだけではなく、薬草を生かした、健康的で甲賀らしいまちを育む拠点施設になっていきたいと考えています。

──専門家の方も地元におられるし、そうした方面に興味を持つ人は多そうですね。

長峰 理科や科学に関心を持っている子どもは多いですから、企業、学校と当館がお互いに連携し合って、その子たちの興味に応えられるような活動があれば積極的に取り組んでいきたいと思っています。

 また近年、健康長寿が国民的な関心事になっています。単に平均寿命を延ばすだけでなく、健康なまま長生きしたいというのがみんなの願いです。当館の場合、「健康」をキーワードにしていけば、自然の恵みである薬草に関する知識であったり、薬の正しい飲み方であったり、生活習慣病を改善するための情報発信など、いろいろな展開ができるだろうと思っています。


※3 ムラサキ 山地に生えるムラサキ科の多年草。太く紫色の根は、古くから染料や漢方薬に用いられてきた。野生のものは数が減少しており、環境省レッドデータブックでは絶滅危惧種にランクされている。

※4 甲南高校に昭和33年(1958)に設置された「薬業科」が、平成19年(2007)の再編により現名称となった。


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