開館10周年企画展「くすりと甲賀忍者 〜その知恵と技〜」

山伏の薬草に関する知識を受け継いだ忍者

──続いては、開館10周年記念の企画展についてご紹介をお願いします。

長峰 今回の展示では、忍者の歴史の展示というよりも、忍者が使っていた忍術という術のうち、身体の健康や精神の安定に役立つようなこと、さらに武器に用いる火薬、通信手段としての狼煙などもふくめて、科学的な知識の部分に焦点を当てました。

 最初のコーナーは、忍者が実在したことを示すために、甲賀の忍者の子孫、渡辺家で発見された古文書の複製を置いています。「御忍役人」とあるとおり、尾張徳川家に仕えて、普段は甲賀に住みながら、いざ忍びのご用があれば尾張まで駆けつける、非常勤の勤務だったこともわかってきました。

忍術は親子、兄弟といえども、秘密にしておけといったことも書かれています。

 それ以外に、当企画展では、藤林保義が著したとされる有名な忍術書『萬川集海』なども用いています。

──次の壁面の絵図は、「飯道山惣絵図」ですね。

山伏の薬「陀羅尼助」の原料となったキハダ

山伏の薬「陀羅尼助」の原料となったキハダ

 先に館の紹介でもお話しした、甲賀が「くすりのまち」になったルーツをもう一度くりかえすことになりますが、最初に野山に自生する薬草に注目した人々は飯道山を拠点に活動した山伏であろうと考えられます。

 山伏は山で修行しますから、薬草に関係する知識を豊富に持っていました。お多賀さん(多賀大社)のお札を配りながら、薬づくりも当然始めていました。山伏の常備薬として有名な「陀羅尼助」は、キハダという苦味のある薬草を使った健胃薬です。

 甲賀の忍者にも、山伏は身近な存在ですし、山伏の行場でいろいろ精神的な修行や肉体的なトレーニングをする中で、薬草の知識も身につけたのだろうと思っています。

──両者に交流があったということですか。

長峰 山伏の子孫から忍者になる者も現れています。例えば、尾張藩に仕えた木村奥之助は、もともと木村奥之坊という山伏の家でした。飯道山の山の中には、たくさん寺跡が残っており、岩がゴロゴロした行場もあります。そのような場での肉体的、精神的な訓練は忍者にも役立っただろうと思います。

 平安時代の時点で近江からは73種類の薬が朝廷に進貢されていたそうですから、もともと薬草が非常に豊富な地域だったのでしょう。山伏や忍者は、たくさん生えている植物の中から、薬草を見分ける知識、生えている場所に関する知識などを継承するようになります。カキドオシ、ゲンノショウコ、キキョウ、クズ、ヨモギ……これらは、今もこの館の周りにたくさん生えていますから。

飯道山二ノ峰の巨岩

飯道山二ノ峰の巨岩。すぐそばに飯道神社がある (編集部撮影)

薬と毒は紙一重

──展示されている植物は、館所蔵の標本なのですか?

忍者が用いたさまざまな薬用植物

忍者が用いたさまざまな薬用植物

長峰 いいえ、今回のために用意したものです。近くにある塩野義製薬油日植物園に許可をいただいて、園の職員さんと一緒に摘ませてもらったものを、ドライフラワーや押し花にしました。

 そうした薬草の中でも、忍者が一番気をつけていたのが、傷薬と腹薬だといわれています。戦に出向いて槍などで突かれたら、血が出る、その止血剤にヨモギを使ったり、ドクダミを使ったりしています。それから、旅をして地方の水と合わなければ下痢をしてしまいますから、腹薬も必需品でした。

──次は丸い団子が並んでいます。

忍者の携帯食3種

忍者の携帯食3種。上から順に「水渇丸」「兵糧丸」「飢渇丸」

長峰 忍者の食料ですね。『萬川集海』の中には、飢渇丸や水渇丸のつくり方が載っていますし、山本勘助が著したとされる『老談集』には、先ほどお話しした兵糧丸が書かれています。兵糧丸は人参や山薬、ヨクイニンなどの生薬のほか、糯米粉や粳米など8種類の原料を混ぜて、それを薬研に入れて粉にしてつくります。腹持ちがよく、元気が出る忍者食ですね。

──味はどうですか?

長峰 材料の一つの桂皮というのはニッキのことです。シナモンの原料ですから、生八ツ橋みたいな風味といえばいいでしょうか。分量として多いのは糯米粉や粳米、砂糖ですから、非常においしいです。

 水渇丸は喉の渇きを止める薬で、梅干しに氷砂糖を入れます。氷砂糖など、当時は非常に貴重なものですし、喉を潤すまではいかなくても、唾液が出やすい作用があったのでしょう。これらは薬の知識を応用した食料という感じですね。

「兵糧丸」づくり

──次は毒草の写真などが並んでいます。

長峰 毒草は、実物をそのまま展示することはできないので、江戸時代の本を紹介する形で、ケシ(アヘンの原料となる植物)などを紹介しています。例えば、有名な毒草のトリカブトは、根っこの部分を乾燥させて附子という漢方薬もつくられています。本当に薬と毒は紙一重なんです。

 おもしろいところでは、『萬川集海』に「阿呆薬」というものが載っています。アサの葉っぱを薄茶に混ぜて相手に飲ませると、気が虚ろになるというんです。

──つまり大麻ですね。

長峰 テトラヒドロカンナビノールと呼ばれる成分の作用を忍者が知っていたということになります。

 他には、忍者の秘伝書に「逢犬術」という、イヌを追い払う術も載っています。忍者が一番嫌なのは、番犬にほえられることなんですね。マチンという南方系の木の実が紹介されていて、犬のエサに混ぜて与えればイヌは死んでしまうと。ストリキニーネという毒素の効果で、実際、昭和40年ぐらいまで野犬狩りにマチンをもとにしたストリキニーネが使われていたそうです。他にも、ツチハンミョウという昆虫がもつカンタリジンという毒素を使った毒虫の話などもありますが、こちらはそれほどの効果があったのか、ちょっと疑問です。

──こちらの古文書はなんですか。

長峰 真ん中の赤線を引っ張っているところに「毒飼」と書かれています。これは毒飼の禁止条項と呼ばれているもので、永禄13年(1570)ですから織田信長の時代ですが、甲賀では一族で「毒を持った虫を飼ったり、毒草を栽培したりしてはいけない」という掟を作っています。逆にいえば、それほど、当時の甲賀では毒が使われていたようなんです。

忍術屋敷で薬の製造

──次には、忍者が印を結んだイラストがあります。

「忍者の精神統一」展示

「忍者の精神統一」展示

長峰 「臨兵闘者皆陣列在前」という忍術の精神修法を紹介したパネルです。忍者の仕事というのは、普通の武士よりストレスがたまりやすいんです。『萬川集海』に「忍術の三病」としてあげられているのが、恐怖すること、敵を侮って軽く見ること、考え過ぎることの三つで、これらが行動のブレーキとなるから、取り除こうとしました。

 これも山伏の術から学んだものですが、心を落ち着ける方法があげられています。息の長い呼吸をくり返せば、精神が安定してくる、印を結んで神仏に祈る、あるいは、お香をたいて匂いでリラックスする。

──どれも理にかなったものですね。ストレス社会の現代人と変わらないような……。

長峰 最後のコーナーは、現代に生まれ変わった忍者の薬ということで、いまも甲賀市の製薬会社が製造販売している「忍術丸」などを紹介しています。昔ながらの桂皮やセンブリ、エンメイソウなどの生薬を混ぜた胃腸薬です。甲賀流忍術屋敷では、ここに展示している「健保茶」も飲ませてもらえます。

甲賀流忍術屋敷

甲賀流忍術屋敷(甲賀市甲南町竜法師)  現在も近江製剤の所有で、屋敷内の売店では、  忍者グッズとともに薬草茶も販売されている

 茅葺きの大きな民家で、多くの観光客が訪れる甲賀流忍術屋敷は、戦国時代に活躍した甲賀武士、望月家の旧宅です。それが江戸時代になると、山伏として、「万金丹」や「人参活血勢竜湯」といった薬をつくり、伊勢朝熊岳明王院のお札を配って各地を回るようになります。
 明治時代になると、望月合名会社、ついで近江製剤株式会社を設立して、敷地内に建てた社屋で製造、屋敷でも袋詰め作業などをなさっていました。

──企画展のタイトルを見て、「甲賀はなんでもかんでも忍者だな」と思う人がいるかもしれませんが、実際に忍者の家が製薬会社になったんですね。

長峰 甲賀の者であれば、いろいろな大将に仕官する際に火薬や薬に関する知識を売りにしたんでしょうね。甲賀の地で忍者が生まれた背景は、山伏と薬、忍者の関係を知ると、すっきりわかるように思います。

 山伏の行場があって、山伏と一緒に近くの飯道山で修行する。肉体的な修行だけでなくて、精神的なものも受け継いでくる。それが戦の場では、精神集中などにも役立ったことでしょう。そうした秘伝をまとめ上げたものが忍術書なんです。戦国時代は、おそらくそうしたものは口伝えであったり、体を通して身につけていったものが、江戸時代になって平和が訪れてから、文字に残されるようになったわけです。

──本日はお忙しいところ興味深いお話をありがとうございました。
(2020.12.11)


編集後記

 甲賀市くすり学習館では、ロビーを使って、「新型コロナウイルス退散祈願!! 疫病除けのお守りと祈り」と題したテーマ展示もなさっていました。例年であれば7月23・24日に甲賀市甲賀町の大鳥神社で催される「大原祇園祭」(今年度は開催中止)に用いる花蓋の花(ボタンの造花)も展示されています。この花は疫神を乗り移らせる依り代で、若衆が青竹で打って花蓋を壊した後、参拝者が奪って、持ち帰り、家の戸口に差しておくと疫病除けになったそうです。(キ)


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