座談会:友の会と博物館は、車の両輪のごとく進み続けたい

NHK大河ドラマを折々の転機にしながら

──長浜城歴史博物館友の会は昭和60年(1985)の設立から36年とのことですから、設立当初をご存じの方というのは…。

氏原 このメンバーの中には、いませんね。

──では、30周年の年の「友の会だより」を参考に会のあゆみを追ってみます。開館翌年の昭和59年に友の会設立準備委員会が立ち上がっています。

福井 昭和58年に長浜城歴史博物館が開館して、博物館を応援しようという人たちの集まりが、もうその翌年には発足しています。そして、昭和60年1月26日に友の会が設立されました。

草野 この中で一番古いのは私で、平成10年(1998)ぐらいに入会したのですが、当時の会長は2代目の中島孝治さんでした。

──初代は岡田孝夫さんという方ですね。

草野 中島先生は郷土史家で、長浜市の駅前通りにある一心寺というお寺で古文書の教室を開いておられて、そこの生徒さん方を中心に、お城(博物館)ができると同時に友の会が設立されたとうかがっています。

大河ドラマを3倍楽しむ講座

「大河ドラマを3倍楽しむ講座」

──なるほど。設立当初の会員数が133名。それが、平成2年(1990)には会員数が602名に増加しています。
 そして、平成8年(1996)にNHK大河ドラマ『秀吉』が放映され、長浜では「北近江秀吉博覧会」がありました。
 それから10年後の平成18年(2006)に、大河ドラマ『功名が辻』の放映があり、長浜では「北近江一豊・千代博覧会」が開催されました。

草野 博物館が博覧会会場でもありましたので、ボランティアが初めて募集されて、滋賀県のあちらこちらからたくさんの入会者の方がありました。現在、「一門衆」というグループが展示案内をボランティアでやっていますが、博覧会の展示説明会が始まりです。

 そのとき、「法被をユニフォームとして着ましょう」ということになり、デザインから生地の購入、縫製まですべて会員でやりました。

「一門衆」が着る法被

「一門衆」が着る法被

秀平 知らなかった。

草野 それを、いまでも展示案内をする会員は着てくださっています。本当は、もっと鮮やかな色だったのですが、何回も洗濯されて、色があせてきているんです。

──設立30周年のときの「友の会だより」(平成26年4月発行)に、当時の吉川兵衛会長と太田浩司副館長が対談なさっていて、太田さんが、「平成18年の『北近江一豊・千代博覧会』が転機になった」とおっしゃっています。「それまで受け身であった友の会が、ボランティアという領域に踏み込む転換期となった」と。

草野 そうですね。太田さんがドラマにあわせて、「大河ドラマを3倍楽しむ講座」というのをやってくださって、夜なのに、この部屋(地階の研修室)がいっぱいになっていました。

 まず私たち友の会会員が「3倍楽しむ講座」を聞いて、それを、来館者に案内するという循環になっていったんです。

氏原 私も、その年には入会していて、すぐ一門衆に入ったので、この年の「一豊・千代博覧会」は思い出深いです。館の入口に入館される方の長蛇の列ができるんです。中だけでは受け付けができないので、外に特設の受付場所をつくったぐらい。われわれは、館の2階と3階に分かれて案内をする役割ですが、入館者の列がずっと続いて、ところてん式に動くので、案内どころではありませんでした。

──いきなり、案内できるものなのですか。

氏原 長浜には観光ボランティアの団体があって、その会員と一門衆はかなり重なっています。ガイド協会の中でも勉強会がありましたし、一門衆としての勉強会などもありました。

沓水  私や氏原会長は長浜観光ボランタリーガイド協会にも関わっています。

「友の会」講演会や講座・運営組織・会員特典──他に『功名が辻』放映当時のご記憶は何かございますか。

秀平 『功名が辻』の5年前、平成13年(2001)に「北近江歴史大学」と「湖北学講座」が始まり、それ以降講座が増えていったように思います。

──博物館の入口に置いてあるチラシを見て、多すぎるんじゃないかと思ってました。

秀平 そうなんです。でも、それが当館の特徴になっていったなと思います。そこで、学芸員と友の会会員の皆さんの密接な結び付きができたようにも感じています。講座を聞いていただく、質問なさる、展覧会がある、展示説明会がある、講演会があるというように、会員の皆さんと立て続けに接していましたので。友の会会員の皆さんには、本当に足しげく博物館にも通っていただきました。いまは館外の会場で開催する場合が多くなりましたが。

草野 その頃、地元にも博物館がある方が、「私は長浜がいい」といって、お友達を10人ぐらい連れて入会いただいた記憶がありますね。

 秀平館長がおっしゃったように、学芸員さんがすごく身近にいてくださるんですよ。展示ができあがると、私たちは見せていただくと同時に説明も受けられますし、質問すればわかりやすく解説していただけます。学芸員さんと会員との距離がすごく近いのは魅力だろうと思います。

田村 私もそう思います。私が入会したのは、『功名が辻』が終わったときでした。「大河ドラマを3倍楽しむ講座」を欠かさず聞かせていただいて。少し長浜の観光案内のほうもさせていただいていましたが、それまでは普通の会社員だったので、全然わからなかったんですけど。NHKの大河ドラマは、戦国物になった場合、必ず長浜が出てきます。この長浜の地を勉強するには、友の会に入るのが一番です。

田村 『麒麟がくる』でも、国友の鉄砲が登場しましたし、何かしらありますね。

──やはり長浜にとって、NHK大河ドラマの存在は非常に大きいわけですね。

福井 関連の博覧会を開催していますしね。ドラマに登場する歴史の舞台が多いというのは、長浜の地域性ですね。

──逆に、そのドラマが終わってしまうと会員数が減るという問題もあるでしょうし。

福井 はい、それはありますね。ある講座だけを聞きたいから入会される、一過性の会員さんもおられます。

──それからまた5年後の平成23年には、浅井三姉妹の生涯を描いた大河ドラマ『江』が放映されます。

草野 その頃、友の会では「黄母衣衆」という、企画・運営にたずさわるボランティアが発足されたんです。

福井 やはり大河ドラマ関係の講座で会員数が増えて、友の会としても、それを契機に新しいことを行っていこうという思いがありました。

秀平 『江』の頃から、どんどん友の会の事業に参画していただけるようになってきたんですね。『功名が辻』の頃は、まだ学芸員が中心になって企画をしたり、現地調整もしていましたけれど、『江』の頃から、われわれ学芸員はお手伝いをする、調整役に回った印象があります。会員数も700人を超えて。

──『江』の頃には、皆さんすでに入会なさっていましたか。

宮垣 私はまだ現職でしたが、『江』の頃に、活動がとても活発だと知って、「退職したら、入会しよう」と思ったのを覚えています。

展示案内の醍醐味と豪華な講師陣

「一門衆」による展示解説

「一門衆」による展示解説(長浜城歴史博物館提供)

──博物館側としては、友の会に展示案内明などを任せてしまうというのが不安ではないんですか。失礼な質問になりますが。

福井 来館者の方の反応としては、友の会の方はほとんどが地元の方なので、その土地の言葉で案内していただけることを非常に喜んでくださいます。むしろ、ありがたく感じております。

宮垣 初めてのときは、一生懸命見ておられる方に声をかけていいのかという葛藤がありましたね。そこの見極めは今でも難しいところです。

氏原 一門衆の展示案内の醍醐味といいますと、まず歴史の好きな子どもの相手をすること。本当にくわしくて熱心です。子どもが好きだということは、お父さんやお母さんも好きなんです。

 もう一つは「私は佐久間盛政の子孫です」とか「浅井家につながりがある者です」といった来館者の方。こちらもお話をしていると楽しくて話がつきません。逆に教えていただくこともたくさんあります。

宮垣  一昨年ですけど、種子島から「うちは鉄砲伝来の本家なんです」という人が来られまして、延々30分ぐらいお話ししたことがありました。

田村 楽しいですよね。知らないことを来館者の方から教えてもらって、自分の勉強になる。またわからないことも、学芸員さんがすぐ来てくださって回答してくださるというので、本当に心強いです。

福井 友の会役員の皆さんといつも言っているのは、友の会と博物館は車の両輪のような関係で、お互いがある存在だということです。確かに身近な存在にはなっていると思います。

──会員の内訳で、長浜市内、市外の県内、滋賀県外に分けると、どれぐらいですか。

福井 以前集計したときは、長浜市内の方が8割ぐらいでした。遠方だと九州の方がいらっしゃいます。講座があったら前泊してまで来てくださるぐらい熱心で。

──県外の場合で熱心な方というのは、戦国ファンの方ですか。

福井 やはり、お城ファンなど、戦国関係ですね。

沓水 岐阜県が多いです。

宮垣 東海・中部の方は多いですね。それと、戦国ファンには女性の方が多いです。説明すると、全部知っておられて、「そこは行きました。そこも行きました」と言って、私たちよりくわしい方がたくさんいらっしゃいます。

草野 講座もしっかり受講なさっていて、「遠いところを、よく来てくださいました」と言うと、岐阜県の会員さんが「ちっとも遠くないんです」って。

講座「北近江歴史大学」

講座「北近江歴史大学」(長浜城歴史博物館提供)

田村  私の感想ですが、「北近江歴史大学」は、テレビで活躍しておられる小和田哲男先生のような方ともお話しできて、本当に価値があると思います。

──講座の内容や講師の方の人選、手配は、館の事務局でなさっているのですか?

秀平 はい。どんな先生に来てもらいたいか、方向性だけリクエストを受けて。

福井 講師の方との交渉は、なかなか大変です。お忙しい方が多いので。

草野 最近、テレビに歴史学の研究者の方や小説家の方が出演なさる番組も多いですよね。名前を見ると、「この人も長浜城が呼んでくれはった講師さんやわ。この人も、この人も」って。

──私もラインナップを見て、豪華だなぁと思っていました。

草野 普通であれば、私なんか存じ上げない先生なんですけどね、なんとなく身近に感じるんです。

福井 「北近江歴史大学」は、全国的に活躍しておられる研究者の最新の成果を、長浜の地で聞いていただくというのをモットーに始まっています。

臨地見学会「苗木城跡とまちあるき」

臨地見学会「苗木城跡とまちあるき」(長浜城歴史博物館提供)

──講座以外では、現地研修などもありますね。記憶に残る活動はございますか。

氏原 やっぱり一泊で行く臨地見学会はいいですね。

草野 そうそう。

氏原 最近では、大分県竹田市にある岡城へ行きました。みんなで『荒城の月』を歌ったり、夜は船の中で食事をして。

福井 弾丸ツアーだったんですよ。神戸港から夜に「さんふらわあ」に乗って、船の中で一晩過ごした朝に着いて、向こうでバスをチャーターして、一日ずっと歴史的な名所を回って、その夜に船に乗って帰ってくるという。

氏原 その土地ならではのおいしい食材にも出会える。大分県で初めて、私はサメの料理を食べたかな。学ぶとともに、会員どうしで交流をして食事をしたり、お酒を飲んだり、そういうことが非常に楽しみなんですよ。

──大分県の岡城は、長浜と何の関わりが?

福井 賤ヶ岳合戦で戦死した中川清秀の次男秀成が、豊後の岡藩初代藩主になるんです。

草野 高知城も山内一豊の子孫ということで、バスで途中の因島とか、いろいろ寄りながら連れていってもらいました。とても記憶に残っています。

田村 羽柴秀吉の家臣が全国に散らばっていったので、いっぱい行けるところがあります。

氏原 壱岐・対馬の臨地見学会も印象に残っています。福岡まで新幹線で行って、そこから高速船に乗って壱岐まで行って、一泊して翌日、対馬へ行って、対馬から帰ってきました。対馬で、朝鮮通信使のデモンストレーションがあって。

秀平 平成14年(2002)の「邪馬台国への道をたどる」ですね。その頃は、日帰りツアーが年に2回あって、一泊ツアーが1回あったんです。

氏原 あれはよかったな。初めての友の会の体験が、そこから始まりました。

親子で地域の歴史を学ぶ「長浜城H─1グランプリ」

──他に特徴的な活動はございますか。

氏原 あとは子どもを対象とした活動がいくつかありますね。

福井 一昨年から「長浜城夏のお城まつり」を友の会と共催で始めました。地域の子どもたちに博物館に来てもらって、竹で水鉄砲をつくったり、竹とんぼをつくったり、博物館を楽しいところだと思ってもらえるように。今年度はコロナで開催できませんでしたが。

「H-1グランプリ」表彰式・作品発表会

「H-1グランプリ」表彰式・作品発表会(長浜城歴史博物館提供)

 もう一つ、平成23年度(2011)から始まった「長浜城H─1グランプリ」という自由研究コンクールも博物館と友の会の共催事業です。「H」はヒストリーを意味し、地域の歴史を題材にしてもらっています。応募作品の一次審査を友の会にお願いして、二次審査を市内の教育関係者が行い、入賞者の発表会は、友の会の講座とセットで開催して、多くの方々に子どもたちの発表を見てもらっています。

──皆さんが一次審査もなさったことがあるんですか。

沓水 はい、いつもしています。

氏原 私たち役員は、二次審査にも参加しています。

福井 最近は応募数が多くなったので、一次審査にあたるものを事務局で行い、役員の皆さんに二次審査をやっていただいています。

秀平 昨年度の応募は450名ほどでした。

福井 だんだん市内の学校関係者の間にも浸透して、夏休みの宿題の一つに取り入れてくださったりする学校があって、ここ2、3年で応募者数が増えてきています。

──放っておくと、小学生は地元の歴史をまったく知らないですからね。

福井 教科書だけで秀吉のことを習うのではなくて、やっぱり地元の長浜に秀吉がいた、石田三成がいたということを子どもたちに知ってもらいたいと思います。

田村 審査させていただきましたけど、まあ、すごく立派なものがあります。

草野 お父さんががんばって一生懸命やってくださるので。

──言ってしまってよいのですか(笑)。

草野 言っています。「すごいわね、お父さん。がんばって、よかったね」って。それはそれで、私はいいと思うんですよ。親子協同で作業して、楽しみながら地域の歴史を知るきっかけになるんですから。

沓水 車に乗せてもらって現地を訪れて、写真を撮って帰ってくる必要もあるから。

福井 やっぱり家族の協力がないと、なかなか子どもだけではできないので。このH─1グランプリを始めた頃は、全国的にもこうした地域の歴史をテーマにした自由研究というのはなかったんです。

 自由研究で入賞した子どもさんの中には、将来、学芸員になりたいと進路を決めた子もいたりして、そういうのを聞くと非常にうれしいですね。

沓水 歴史の分野に限定せず、発表の経験をさせるだけでも、意味があると思います。大人の前で発表する機会って、ほとんどないので、子どもたちの自信になるから。

コロナで活動が難しい現在

──昨年からは、こちらの館に限らず、コロナの問題がありました。それ以後の活動には、どういった変化がありましたか。

福井 友の会事業そのものの数を減らして、今年度は開催しました。例えば「北近江歴史大学」は、毎年4回だったものが、今年度は2回になりました。

 また、これまでの講座は一般の方にも公開して、当日申し込みも受け付けていましたが、今年度は完全予約制にし、会場の収容人数に合わせて定員を半分に減らすといった、感染対策を行いました。

──会員の皆さんも、活動が縮小したなという感覚でしたか。

氏原 バスで行く臨地見学会も、従来40人乗れたものが、20人しか乗れないので、その分コストが上がるといった問題も出てきています。講座でも、入場のさいの検温などで、いろいろな手間が増えましたね。

沓水 役員としては、講座などが減ってくると、会員さんから「いままでは、これだけの会費で、これだけやってもらっていたのに、今年は少ない」といった苦情があるかもしれないという心配もありました。

 でも、こういう時こそ会員としては、「何かしてもらおう」ではなくて、苦境にある博物館のために何をすればよいか考えるべきだと思うんです。来館者が減っているのであれば、なるべく頻繁に展示を見にいくとか。

──通常も会費だけですべての活動の運営は難しいと思うのですが、運営経費は?

「友の会」会費福井 会費のほかに、ミュージアムショップの運営を友の会に協力してもらっているので、その売り上げの一部を活動費にあてていただいています。市からの補助金などはありません。現地研修に関しては参加者負担ということにしています。

 講師の謝礼や会場使用料なども友の会の予算で負担しています。本来でしたら、市がその予算で教育普及事業を行うところですが、当館では、それを友の会の方々が自分たちで負担をして、自分たちで活動をして、それをまた広げていただいているということで、本当に助かっています。

沓水 でも、友の会の事務局は博物館側で、手配とか全部やってくださるから、友の会はおんぶされているほうでしょう。

氏原・草野 そのとおりです。

氏原 事務局あっての友の会です。いつも秀平館長が言われるように、友の会と館とは車の両輪のごとくやっていかなければ。私たちが片方の輪を担っているとは、ちょっと思えないぐらい、お世話になっています。

──ちょうどお時間ですので、最後に何か言い忘れたことなどございましたら。

博物館周辺の清掃活動

博物館周辺の清掃活動(長浜城歴史博物館提供)

氏原 いろいろな学びが活動の中心ですけれど、会員は奉仕活動もやっております。長浜城周辺の掃除ですね。木々の刈り込みや剪定もやります。以前は4月から11月まで毎月やっていましたが、なかなかそれが難しくなり、現在は7月の琵琶湖清掃の日と、秋の年2回になりました。

 どうぞ、友の会にご入会いただき、私たちといっしょに長浜の歴史文化のシンボルである長浜城を美しくしましょう。

──うまく会員募集の呼び掛けでしめくくっていただきました。本日は興味深いお話をありがとうございました。

■令和3年(2021)4月1日に福井智英さんが館長に就任されました。


編集後記

取材の最中は恥ずかしくて黙っていましたが、私は長浜市民なので、数年前に子どもが友の会主催の「H-1グランプリ」に応募しました(小学校の夏休みの宿題扱い)。湖北の武将の一人、阿閉貞征は、カードゲームのイラストがなぜ悪党ヅラなのかを調べて、参加賞の「ひでよしくん」イラスト入りクリアファイルをもらいました。(キ)


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