特集淡海文庫10周年

 平成6年(1994)4月1日に刊行開始した淡海文庫シリーズは、今年で丸10年を迎えます。本年度配本分が終了すると30冊、別冊淡海文庫がこれまでに12冊、同じく淡海文化を育てる会発行による近江歴史回廊ガイドブック8冊を合わせると計50冊。  今回は改めて発刊に至る経緯、当時の状況などについて編集などに携わってきた担当者が語り合いました。

座談会 淡海文庫10周年

橋本鉄男先生にお尻をたたかれた

▼来年の4月で淡海文庫が丸10年を迎えます。というわけで、今回はこれまで10年間の歩みを関係者で振り返ってみたいと思います。
 まず、淡海文庫発刊以前の県内の出版状況ということで、サンブライト出版から出ていた「近江文化叢書」があります。このシリーズの本を間違えて当社に電話で注文してこられる方もいらっしゃいます。

●「近江文化叢書」は、滋賀県の文化振興課が700冊ぐらいを買い上げて、残りは市販するということで始まったものです。4冊目までは白川書院(現・白川書院新社)から出版され、その後、サンブライト出版から出されるようになったんです。いずれも京都の出版社でした。

▼小倉栄一郎著『湖国の地場産業』や増田耕一編『街角ルネサンス―湖国に息づく西洋建築―』といった本は、今も調べものに使わせてもらったりします。

●ほとんどの企画は出版社側に任されていたと聞いていますが、『明日の湖国』といういかにも行政の報告書みたいなものは、つまらなかったです。サンブライト出版はその叢書とは別に『近江商人の経営』が1万5000冊ぐらい売れるヒットになるなど滋賀県関係の書籍を積極的に展開していました。当社も自費出版を中心に書籍づくりを視野においていたので、県に何度も働きかけたものです。

 結局、サンブライト出版の倒産で近江文化叢書は30冊で終わりました。平成2年(1990)のことです。

▼それから平成6年(1994)の淡海文庫まで、4年間の空白があったわけですね。

●その頃、安曇川町にお住まいだった民俗学者・橋本鉄男先生が同町北船木の歴史をまとめられた『輪の内の昔』を製作していました。何度もお会いしていると、滋賀県を対象にしたシリーズ本のお話をなさるわけです。兵庫には「のじぎく文庫」があるやないか、岡山には「岡山文庫」があるやないか、それから神奈川には「かなしんブックス」があるやないかとおっしゃって。さんざんお尻をたたかれた(笑)。
 けれど、その当時、滋賀県文化振興事業団発行の「湖国と文化」編集長をなさっていて、こちらもよくお会いしていた瀬川欣一さんは、「自費出版やったらええけど、企画出版なんかしたら採算が合うわけない。出版社なんかしたらあかんで」と言っておられました。先の近江文化叢書の例もありますしね。

▼時期的にはすでに出版不況といわれていた時期ですから、瀬川さんのご忠告ももっともだったと思いますが。

●そのうち編集長が瀬川さんから池内順一郎さんに代わって、今度の池内さんは「自分で出版社がしたい」というお気持ちがあり、橋本先生のお話などをするうちに、やはり滋賀県の本を出そうかということになってきたのです。池内さんの他に八日市の中島伸男さん、長浜の吉田一郎さんとサンライズの岩根順子で、どんな本を、どんなシリーズをつくったらいいかを相談したんです。企画案をつくって、何人かの方に送ったところ、皆さんに賛同いただけたので、やろうと。

▼そして、本自体とともに、購読いただく読者の皆さんによる淡海文化を育てる会が設立され、サンライズ出版内に事務局を置くと。

●最初から橋本先生は、購読者友の会みたいな形にするべきという意見でした。

▼近江文化叢書では県が買い上げてくれていた分をそれで確保するというわけですね。参考にしたのは、のじぎく文庫や岡山文庫だったのでしょうか?

●のじぎく文庫はそういう会員制だということを知りませんでした。岡山文庫をしばらく購入していたんです。1回に2冊ずつ届くんです。あれは。けど、あんまり面白くなかった(笑)。

◇小さくて、コート紙で、保育社の出してるカラーブックスみたいな感じですよね。

●そうそう。言っては悪いけど、概説というか教科書みたいな感じ。ただ、「岡山の百科事典を目指して」という志は偉いなと思ってました。

▼文庫の冒頭に掲載されている刊行のことばには「昭和39年から刊行を開始…」、「岡山県の全体像を立体的にとらえる、ユニークな郷土事典を目指します」とあります。

●皆さん賛同してくださったし、その頃、県が「新しい淡海文化の創造」というのを政策課題にかかげてたので、とりもなおさず「淡海文庫」というシリーズ名にしたのですが、いまだに「タンカイ文庫」と読まれることがありますね(笑)。

▼サンライズが、図書コードをとったのはいつなんですか?

◆平成6年(1994)の4月、淡海文庫と上田栄一著『みんなで楽しく集落営農』を販売するためにです。

●その前の平成元年(1989)に江南良三著『近江商人列伝』が出て、販売はしてました。

◆平成5年(1993)の夏には、五個荘町出身の作家・外村繁の小説『草筏』の復刊をというので、その製作にかかっていたんです。これも販売を前提に。

◆それの組版はワーディックスというワープロ入力したデータを、自動タイプみたいなやつで…。

▼それは電算写植とは違う?

◆電算写植とタイプの合いの子みたいなもん。

●電算写植は価格が1億円したからとても導入できるようなものでなくて。けど、そのワーディックスも2000万円しました。データを入れておくと自動的に9ポなら9ポで打ち続けて、終わったらピピピピピピと鳴るので盤面の活字を換えに行かなければいけない(笑)。

◆外字は外字で、どこに入れるというのをあらかじめ決めておくことも面倒でした。

●一番最初の頃のワープロというと、このテーブルに乗るぐらいの大きさのオアシス100というのがあったんです。

◇先日、テレビで、「これは何でしょう?」って見せてましたね(笑)。

◆それ1台が300万円。

●ところが24ドットでしか出力されないし、全部にファンクションを入れなければいけない。見出しにあたるここからここまでは何ポでゴシックでというように。その頃の校正紙はわかりにくい状態のものを見てもらわなければならなくて大変でした。

◆機械は自動的に出力しているはずなのに、朝出勤したら、どこかでひっかかって3ページで終わってるというようなこともあったね。

●テープは代えなければいけなかったし…。そういう時代でした。自費出版の本づくりはタイプ組版ではじめたものの、モトヤの本格組版、つまり活版と同じ組み方を採用したので版づくりには自信があり、次第に書籍づくりのノウハウが蓄積されてきました。

▼淡海文庫が刊行された時点では?

●モリサワの電植が入っていました。

▼業界全体でハード面の変化が進んだ時代ですよね。その後またわずかのうちに完全にパソコンによる組版に変わります。

会員ナンバー1番はキリンビール滋賀工場の工場長さんです。

▼話を戻しますと、そういう中で設立準備会の会合はどこを使ってたんですか?

●あっちこっち。ちょうど長浜に黒壁ができたころで、情報誌「長浜みーな」さんの関係のところだとか。発起人として参加いただいたのが、先ほどの池内さん、中島さん、吉田さんの他に、滋賀文化短大教授の織田直文さん、地域計画研究所におられた二反田隆治さん、デザイナーの森雅敏さんといった方々でした。平成5年の8月ぐらいからあっちこっちで打ち合わせをしながら、第1冊目にあたる『淡海の芭蕉句碑(上)』の組版も同時に進めていました。

◆『芭蕉句碑』は、滋賀県人会の機関誌「全滋連」の創刊号から12号ぐらいまでに連載されていたものに加筆・訂正してもらったものです。次の『近江百人一首を歩く』は「湖国と文化」に連載されていたもの。最初の頃は「湖国と文化」の連載の面白かったものをもっとまとめたいとも思っていたんですが、古いものはやっぱり難しくて。

▼設立の発表や会員募集は?

●『芭蕉句碑』が出てからでした。

◆デュエットにも記事として載せたね。

▼発起人での記者発表みたいなものはしたんですか?

●してない(笑)。

▼一応、平成6年(1994)4月1日が設立年月日ではあるんですね。

●設立趣意書は作ってありましたが、会長も決まってなかった。会長ではなく世話人代表として橋本先生になってもらったんです。

◆淡海文化を育てる会の入会申込書を、デュエットに同封して送ったりして入会申込書はかなり配布しました。『芭蕉句碑』の著者の乾憲雄さんの関係で滋賀俳文学研究会の会員の方々だとか、滋賀文学祭への応募者の方とかへも手紙を出しました。

▼同年10月に淡海文化を育てる会発会記念講演会として当時、京都市立歴史資料館館長だった山路興造氏による「近江の民俗芸能」を近江八幡市にある滋賀県立婦人センター(現・男女共同参画センター)で催していますね。

◆それで実際に本を売るということですけど、先ほどのように2月ぐらいには図書コードはとれて、淡海文庫は書名記号の3ケタを101番からと決めました。そして、滋賀県内の主な書店さんへの取次は、滋賀教販さんが引き受けてくださいました。それから全国の書店さん向けには地方・小出版流通センターというところがあると知って、社長が臆面もなく電話で申し込んだらそのまま決まってしまって。

●「一度おうかがいします」て言うと、川上社長が「東京までそんないらんことしなくていい。どんな本を出してるのか、リストをファックスしてください」と言われて。

◆それまでの『近江商人列伝』や、自費出版だけれど定価をつけて売ってた本がけっこうあったからリストを送ったんです。そしたらすぐ何を○冊、何を○冊常備でというように注文をいただいた。けれど、うちに何十冊もの在庫がない本がほとんどだった(笑)。注文数分の。その頃は月に1冊の電話注文があったら「わーっ本の注文が来た」と喜んでいたぐらい(笑)。

▼その地方小さんと取り引きしたいというのは、県外にも販売したいということで?

◆そうです。やはり全国の書店でお求めいただけるようにということで。

●扱ってもらうようになってすぐに地方小さんの20周年があったね。だからあそこはもう30年たつんやね。

▼入会状況にもどると、会員ナンバー1番が、当時、キリンビール滋賀工場の工場長だった山分信さん。

◆会ったら、「わし一番やでな」て今でもおっしゃいます(笑)。

●その後も代々の工場長さんが必ず入会するように申し送りしてくださったし。

▼他にも賛助会員として企業はかなり入会いただいています。ダスキン比良(現・湖光グループ)さんとか。KEIBUNさん、河本文化振興財団さん…。最初の1~2年で会員数はどのくらいになったんですか?

◆平成6年の6月時点で200人余り、平成7年の6月時点で410人、8年には一般会員450人、賛助会員44人。その後はやめられたり、亡くなられたりで今で230人ぐらいに減っています。その後の会員勧誘があんまりできてないせいもあって。

●当初は著者になった方には必ず入会してもらって、著者の方にまたお知り合いをお誘いいただくということができていたんですが。

最近は「ぜひ淡海文庫の一冊に」とおっしゃっていただける。

▼平成7年(1995)、5冊目に『ふなずしの謎』が出ます。これが一番売れたんですか。

●あれは記者発表して、初めて京都新聞の京都版にも載ったんです。本にフナズシを添えてKBS京都に送ったりもしましたね(笑)。で、ラジオで紹介してくださったら、うちにフナズシをくれと買いに来た人もいました(笑)。電話でもフナズシの注文あったね。その後も、滋賀の食事文化研究会にはその後もシリーズのように2年に1冊ぐらいのペースで執筆いただくことになります。

▼滋賀の食事文化研究会は、農文協が発行した「日本の食生活全集」というシリーズの『聞き書滋賀の食事』の編集委員だった方々が中心になって平成3年(1991)にできた組織です。橋本鉄男先生は同書の編集委員長を、会の発足後も相談役を務めておられました。

◆その前の『ちょっといっぷく』も橋本先生から紹介があったんです。これは内容はいいとほめてくださる方もいるんですが、禁煙・嫌煙の進行のせいか売れ行きはあんまりでした。江戸時代から中野村(現・八日市市)で栽培されていたの中野煙草のことを中心に、水口町の名物だった水口煙管についてなどが紹介されています。

●著者の大溪元千代さんは、専売公社に勤めておられた人です。

▼それから『「朝鮮人街道」をゆく』。

◆これは彦根東高校の先生と生徒が調査なさったものですが。本の形にしようと思ったのは、平成6年に発行した『近江之中山道道中案内図』を買われた女性が、「こういうのの朝鮮人街道版も作ってほしいわ」とおっしゃったのがきっかけです。でも内容的に薄い冊子では収まりきらないというので淡海文庫として春ごろ門脇正人先生にご依頼して、その年の12月に朝鮮人街道をテーマにしたシンポジウムがあるというので大急ぎで完成させました。「5年、10年前だったら『朝鮮人街道』という呼称が使えなかった。差別的にとられたりして。それが時代的に変わってきた。それを象徴する本だ」というようにおっしゃってますね。

▼いまだに売れてますよね。

◆日本中世史がご専門で横浜市立大学教授の今谷明さんが、野洲の書店で発売間もないこの本を買ってルートを歩かれたとか。

▼それから『沖島に生きる』。これは?

●これは持ち込み原稿でした。それまで沖島について書かれた本というのはあまりなかったんですね。

▼滋賀県に住んでいる者でも沖島ってめったに行かないですね。観光地ではないから。先日育てる会が企画したツアーは定員オーバーの参加がありましたけども。

▼著者の小川四良さんは島の暮らし、日常生活をまとめたもう一冊も考えておられたようですが、先年亡くなられました。

 最近とくに著者による持ち込みが多くなってませんか? こちらで一から企画したというのは…。

●『近江の昔ものがたり』『近江の城』『丸子船物語』などは、こちらで「こんなテーマの本を」というのでご依頼しました。普通に出版したいと持ってこられたのを読ませていただいて、これなら淡海文庫にとお願いしたものもありましたが、最近は先方から「ぜひ淡海文庫の一冊に」とおっしゃっていただけるようになったのはうれしいですね。

▼刊行順にもどりますと、平成9年(1997)に『近江の城』。これは売れたんですね。地方小さんの全国の取扱書籍の中で週間売れ行き1位になってました。

◆淡海文庫は著者の方への著作権使用料のお支払いがなく、現物支給ですから著者ご本人からは売れても印税も何にもないと皮肉られています(笑)。

◆戦国時代の城関係は人気があります。中井さんには続編の執筆をお願いしてるんですが、ご多忙のためか完成はもう少しかかりそうです。

◆最初は年会費3000円で、税込価格1000円の本を3冊だったんです。それが1000円ではきついというので、どこから1200円になったんでした?

▼消費税が3%から5%に引き上げられた年、平成9年(1997)から。

●それ以前の本は、端数の出る本体価格がいまだに続いているわけ。

◆それで年会費を4000円に値上げしました。

●その前年、平成8年(1996)10月でしたね。淡海文庫発行へ導いていいただいた橋本先生が亡くなられました。その後、代表は滋賀県立大学学長の西川幸治先生に引き継いでいただきました。

別冊淡海文庫と近江歴史回廊ガイドブックの刊行のきっかけ。

▼ところで、別冊はどんな経緯でできたんですか?

●これも橋本先生の提案です。淡海文庫のブランド性を高めることを意図したものです。一般向けではなく、ちょっと専門的、マイナーな分野の内容を対象にして、シリーズの充実をめざしたものです。定価も淡海文庫よりも少し高く設定し、著者にも少し負担していただいています。

▼1冊目が橋本先生の『柳田國男と近江』です。

●まずご自分がということで。

▼以後、ほぼ年1冊のペースでこれまでに12冊が出ました。そして、もう一つ、育てる会が関係するシリーズとして近江歴史回廊ガイドブックがあります。

◆たまたま平成5年(1993)に、近江八幡を中心とした観光関連業者さんなどで組織されている「まんなかの会」でツアーをしようということになって、その時の案内書を当社が作成することになり、急遽取材を始めました。これがサンライズで企画した市販本の第1号です。やがてシリーズとして『近江之中山道道中案内図』の3冊ができたんです。
 それが近江歴史回廊ガイドブックシリーズにつながっていくんですね。

●県に近江歴史回廊推進協議会ができて、何かガイドブックを作らなくてはいけないという時に道中案内図を見た方がいて、こういう物をつくりたい、どこが作ってるんだというので、サンライズに話が来たんです。当時、サンライズには充分な力がなかったのですが、育てる会のメンバーの方々の中には筆力のある研究者が多数おられたので、協議会は育てる会に委託されることになりました。設立まもなくの事業だったので橋本先生をはじめ池内さん、吉田さんとともに打ち合わせに出かけましたが、皆大喜びでした。さらにガイドブックシリーズの出版権もつけてくださったので淡海文化を育てる会の財源になったわけです。

▼平成6年度の事業として平成7年の3月に発行されたと。

◆3000部つくって、1000部は県が購入、2000冊は育てる会で定価をつけて売る、育てる会はサンライズに製作を発注するという形です。育てる会のツアーの始まりもここからです。

◇だから、育てる会の特典に歴史回廊ガイドブックも入ってるわけですね。

●そうです。賛助会員さん用に。

▼そして、このシリーズは1月下旬発行の8冊目『近江商人の道』で完結します。
 淡海文庫の話題に戻りますと、一冊ごとの思い出を語っていると長くなるのですべては紹介できませんが、これまでの中で印象に残っているのは? 私は、当社に入って担当した一番最初の頃の本ということで 『カロムロード』。

●これは忘れたころにというか、たまにテレビや雑誌でも紹介していただきますね。

▼表紙を見ていて思い出すのは、カラーグラビア(口絵)を入れたかったなということ。編著者の杉原正樹さんは、カロムの駒にしろ盤面にしろたくさんカラー写真で撮影しておられたんですね。あの丸い駒は赤と青に色分けされているのですが、本文の白黒ページでは区別がつかない。カラーの口絵をつけたかったんですが、この頃は予算的にそれができずあきらめ、代わりに表紙に無理やりたくさんの写真を入れた覚えがあります。その後はカラー印刷の経費が安くなったこともあってほぼすべてのものの巻頭に4ページのカラー写真が入るようにしました。

◆私は『城下町彦根―街道と町並―』かな。これは彦根城博物館が企画展をするけれども、図録をつくる予算がないから、淡海文庫で上田道三さんの日本画とともに町並を紹介しようとなったのです。ここ数年予算削減の影響で公立の施設でも印刷物が製作できないという状況があります。文章量が多く無理やり詰め込んだ感じはあるのですが、読みごたえのあるなかなかよい本だと思います。彦根市民の購読が今ひとつということが残念ですが。

▼『大津百町物語』は増刷できたんですよね。会の青山菖子さんがリュックを背負って売り歩いてくださったからです。初版を売り切るのはかなり難しいのですが、著者のパワーの賜物でした。

◆『里山に生きる』の場合は書店さん。志賀町駅前のおかだ書店さんが100冊お売りになったんです。志賀町の新住民の方が地元の歴史を知るためにお買いになったと聞いてますね。

●人口が日本の総人口の100分の1である滋賀県で、2000部売れたらベストセラーですよ。ほんとに。しかも、1人当たりの書籍購入額が全国で下から2番目という悲しいデータもありますから。

文系・理系合わせた総合的な内容のものが増える傾向。

●『近江の鎮守の森』などは地味な本ですけど、京都精華大学教授の上田篤さんが目にとめてくださって全国社叢学会から注目されました。

◆この辺りからどっちかというと、自然系の内容が増えてきましたね。『ヨシの文化史』にしろ、『鯰』にしろ。それから『近江の獣たち』。

▼最初は、歴史・民俗のいわゆる文系の内容が多かったのから、理系へ変わってきたようにも見えるのですが、多くなってきた自然系も、純粋に生物学的な内容だけではなく、歴史・民俗もあわせた総合的なものであるのは重要でしょうね。

●大学の学部の性格みたいなものもそうなってきてるし、実際に何をテーマにするにしても一方だけでは考えられませんしね。

 また、淡海文庫の場合には、創刊と同じ時期に滋賀県立琵琶湖博物館が開館し、滋賀県立大学をはじめとして県下に大学が次々生まれるという動きがありました。これが継続発行できた背景になっていると思います。ただし、学生の方はなかなか本を買ってくれませんが。

▼10周年の記念に何かというのは計画してるんですか?

◆来年度になるでしょうが、講演会や書店さんでのフェアを行いたいと考えています。
 昨年末に完成した別冊淡海文庫『近江の名木・並木道』の場合であれば、スライド上映会、名木を訪ねる現地見学会などいろいろ考えられます。それぞれの本の内容と連動した活動を行っていきたいと思います。

▼今年度の最後、30冊目にあたる『(仮)近江牛物語』(同書は月刊「肉牛ジャーナル」の編集長・瀧川昌宏さんが、日本最初のブランド牛肉である近江牛の歴史について同誌に連載しておられたもので、地元の出版社から発行してもらえればと原稿を持ち込まれたものです)の場合であれば、近江牛をお腹いっぱい食べに…。

◇本物の牛を見に行く方が、淡海文庫らしいと思いますが。

●さて、ひとまず近江歴史回廊ガイドブックシリーズは完結しましたし、代わりとなる新しい企画も必要です。まだまだ一冊にまとめるべきテーマも残っています。「それを形にできるかは読者の皆さんのご支援次第です」と申し上げて今日は終わりにしておきましょう。
 次の10年に向かって初心を忘れず皆様にご満足をいただけるシリーズの刊行をめざします。近江歴史回廊ガイドブックシリーズに続く新企画は来年度に改めてご案内いたしますのでご期待ください。今後ともよろしくご支援のほどお願い申し上げます。


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