B展示室リニューアルについて モノを並べるだけではなく、ジオラマやイラストを用いて、どのように自然を利用していたかがわかるように心がけました。 滋賀県立琵琶湖博物館 学芸員 渡部圭一さん

森・水辺・湖・里というコーナー立てをしています。

──入口から順に解説をお願いします。

渡部 B展示室は縄文時代以降の人間と自然の関わりを扱っています。人間にとって自然はよい面と怖い面、二つの顔を持っているわけですが、そうした存在を人間はしばしば生き物の姿に形象化してきました。その代表が竜です。地震や雷を起こすといった怖い面を持ちつつ、雨をもたらす水の神様でもあるんですね。滋賀県は竜王信仰などがあり、雨乞いの祭礼も盛んだったところなので、自然のシンボルとして、入ってすぐに登場させています。

 この後のパネルの解説でも、ところどころ竜(自然の側)からのコメント、突っ込みが入ります。昔は人間と自然がうまくやっていたみたいな、牧歌的な内容にはなっていないので、ときどき竜が毒舌を吐きます。

──粟津貝塚は以前の展示にもありましたので飛ばして、‌[2]「森」ゾーンに進みます。

渡部 ここからは滋賀の自然環境の多様性がわかるように、森・水辺・湖・里という4つのコーナー立てをしています。「森」の最初は縄文時代の穴太遺跡(大津市)をもとにした展示で、広葉樹のドングリを採って貯蔵穴に蓄えるなど森の恵みを利用していました。実が採れる広葉樹は切らず、針葉樹を磨製石斧で切っていました。

 時代が進んで、中世には山の境界をめぐって争いなども起こるようになります。次は大津市北比良で、大正時代生まれの男性から話を聞いたり、古文書などをもとに、比良山麓の村でどんな森林の使い方があったかを示したものです。いまは木が鬱蒼と茂っていますが、戦前ぐらいだと低木ばかり、高くても5〜6mだったようです。

──みんな燃料にしていたんですよね。

渡部 滋賀県はどこでも、ガシガシ切って燃料にしています。ここのジオラマはそうした時代のようすを再現しています。北比良の場合は、花崗岩地帯で、よい石材が採れたものですから、山の石が運び出され、地肌が露出していた部分もありました。上流から流れてきた砂が下流にどんどんたまって困るとか、いわゆる天井川が形成されるといった問題が発生しています。

 そのため、江戸時代後半から明治にかけて、砂防工事が行われるようになります。大津市の田上山地などもハゲ山状態だったので、ヒメヤシャブシ(俗称ハゲシバリ)という植物の苗を植えたんです。

ジオラマをつくるための聞き取りは、勉強になりましたね。

──つづいて[3]「水辺」ゾーンです。

渡部 「水辺」は、陸地と湖の間、ヨシが生えた湿地帯などを意味しています。人間が森の次に進出してきた場所で、水が増えたり減ったり、川に近いと洪水も起こったり、危険な環境でもありました。

 中世・近世の時代になると、人間は水辺にどんどん手を加えていきます。田んぼやヨシ地、水路も造成します。典型的なのが内湖の周辺で、近江八幡市にあった津田内湖の周りの暮らしを再現したジオラマは、やはり大正時代生まれの男性への聞き取りと古文書をもとに、昭和戦前期ぐらいまでの暮らしを復元しています。水路が道、船はトラックにあたり、水辺の田んぼへ農作業に行ったり、漁撈もしていました。

 人物模型はすべて、聞き取りをもとに何らかの動作をさせ、棒立ちにならないようにしています。調査でお年寄りから聞き取りはよくしてきましたが、魚を捕ったときそれをつかむのは右手でしたか、左手でしたか、船の上で立っていたのはどのあたりでしたかなんてことまでは聞いたことがなかったですから、勉強になりましたね(笑)。

 上にミラーがあって、ストレッチャーなどの低い位置からでも展示をご覧いただけます。

──ここから漁具の展示に入ります。

渡部 展示全体を通してですが、モノを並べるだけでなく、実物大の人形やジオラマ、イラストを用いて、どのように自然を利用していたのかがわかるような展示を心がけました。自然のなかで仕事をする人の体の動きや姿勢といったものまで、できるかぎりリアルに表現したいと考えました。

 ここでは沖島の漁師さんがやっていた、琵琶湖特有のエビタツベ漁を再現しています。一人が操縦している船の上で、もう一人が積んだタツベを放り込んでいくんです。長い延縄状につながった一つの仕掛けで、昔は100個ぐらい、いまは200個使うそうです。タツベが竹製からプラスチック製に変わりましたが、形はまったく同じです。

──つづいて、[4]「湖」ゾーンになります。

渡部 琵琶湖の水上交通の主役だった丸子船を、こちらの壁沿いに移動させています。手前には、丸子船を復元した松井造船(大津市本堅田)などから寄贈された道具を展示しています。

 先ほどの「水辺ゾーン」にあった漁具とこちらの大工道具は、あわせて「琵琶湖の漁撈用具及び船大工用具」として、2018年に国の登録有形民俗文化財になりました。

──最後に中央の[5]「里」ゾーンです。入口は勧請縄ですね。

渡部 集落の境界に立てられ、魔除けの役割がありました。藁でつくるのは、外気と接する展示室では難しくて、人工素材で再現しています。虫の温床になってしまうと、周りの文化財にも被害がおよぶ可能性があるので、展示品の素材には配慮しています。

 滋賀県では中世に「惣村」と呼ばれる地域社会が発達しました。村のお堂を再現したジオラマで、みんなが共同で建てたお堂に集まって祈願しています。最近の研究では、中世の村が発達するにあたって、お堂という存在が不可欠だったといわれています。堂内の人物は表情も豊かに作り込んで、真剣な祈りのようすを再現してあります。

 中世は、資源の管理などさまざまな面で掟書が作成されました。隣には、それらの文書のレプリカが並びます。室町時代以来、江戸、明治になっても続き、自治会のルールを掲示した例を最後に置いています。

──こちらには映像が見られるコーナーもあります。

渡部 代表例として東近江市今堀町にある日吉神社の宮座の年間の行事を紹介しています。映像はびわ湖放送さんに1年間ほど取材をしてもらい、年間の流れがわかるように編集していただきました。

 その右手では、勧請縄もそうですが、村の暮らしを守ることを願った民俗行事の代表的なものとして、日野町中山の芋競べ祭り、甲賀市多羅尾の虫送り、甲賀市の大鳥神社の花奪いを紹介しています。

 芋競べ祭りの巨大な里芋は祭礼終了すぐに業者に引き取ってもらって型取りし、別の素材で再現したものです。ロープの部分は現物をご提供いただき、孟宗竹も本物を保存処置して着彩しました。

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