2011年 6月 17日

「神仏います近江」展のリーフレットが届いた

MIHO MUSEUM、滋賀県立近代美術館、大津市歴史博物館という3館連携の展覧会が開催されることは既に聞いていたのだが、本日母の元に近代美術館友の会だよりが届き、一部出品される美術品がわかった。
MIHO MUSEUMでは百済寺の金銅弥勒菩薩半跏像、金剛輪寺の大国天半跏像、園城寺の尊勝曼荼羅図、MIHO MUSEUM蔵の紫紙金字金光明最勝王経巻第二が挙がっていたが、国宝3点、重文40点余りを含む計120点とのこと。天台仏教がテーマなので奈良、平安の名品が鑑賞できるようだ。
滋賀県立近代美術館では櫟野寺の地蔵菩薩坐像、善勝寺の三面千手観音立像、永昌寺の地蔵菩薩像、園城寺の金剛力士立像、金剛輪寺の不動明王・二童子像など。
そして大津市歴史博物館では館蔵の日吉山王祭礼図、百済寺の日吉山王神像、山王祭礼貼交屏風など。お神輿もなども展示されるのかな?

思い返せば、ちょうど一年前の今頃、たくさんの貴重な写真をお預かりして、そのお名前、所蔵者、形状、寸法などのチェック、掲載申請書の作成などをしていたあの方たちと間近でお出会いできるのだと思うとワクワクしてくる。

1998年に滋賀近美で開催された「近江路の観音さま」も一堂に会されたけれど、今回も近江の南部の3館に集合されるというのだから、仏像ファンにとってはまたとない機会でもあろう。

2011年 3月 17日

編集を一手に引き受けていただきました

3月15日、彦根市の記者クラブで『彦根城の諸研究』のプレス発表をしました。今回の本は彦根市出身の海津榮太郎さんが長年彦根城の研究をされており、その論考を1冊の本にまとめたものです。
 海津さんは『近江佐和山城・彦根城』にも原稿を書いていただいているのですが、私は全く面識はありませんでした。しかも構成をご覧いただいたものの、出来あがった本を手にとってもらえないまま、お亡くなりになったのです。
 城郭研究の中井均さんがまだ「城好き少年」だった頃、海津さんにお城のことをいろいろ教えてもらったということは聞いていたものの、本当に仔細に彦根城のことを調べておられ、その原稿は多岐にわたっていました。
 ところが、この原稿をそのまま本にするというのは、今流行りの「自炊」であるため、ある程度編集するべきだということになり、その労苦を一手にこきうけていただいたのが、30数年来のおつきあいのある森山英一さんでした。 
 
 
海津さん同様、某大な資料をお持ちの森山さんは再度原本に当たり、細かくチェックをしていただき、初めて読まれる方にもわかりやすいようにと補註をいれて、著作集が出来上がりました。記者発表では、海津さんの人となりから研究の内容までくわしく説明していただきました。
 お城関連の会は全国にたくさんあり、機関誌も種々でていますが、一般読者の目に触れることは少なく、また何十年も前に発行されたものを手にすることはなかなかありません。そういった意味で今回の本は彦根城に関する資料として、是非残しておかなければならないものでした。
海津さんは彦根高商を卒業後、尼崎、大阪に住んでおられたものの、彦根へ何度も来られては、図書館で一日中史料を調べておられたと聞きます。ひとつひとつ彦根城の謎ときをしている本で、お城を好きな方は必携です。

2011年 3月 17日

今、私たちにできることは何か

連日の地震で買占めに走る被災地以外の状況をみて、思い出したのが昭和48年のオイルショックのことでした。当時はトイレットペーパーと灯油の買占め騒ぎがあったのです。
その時私は大学2年、京都で下宿生活をしていて、1カ月の仕送りが4万円でした。当時の平均生活費は下宿代9400円(6畳、3畳の離れを借りていた)、食費が11000円、通信交通費3600円、光熱費は2100円、茶道と洋裁の稽古代6200円、被服費5400円、教育教養費4000円、保険衛生費2000円、雑費その他5000円、計45100円ということで、日給2000円の短期アルバイトを時折やって賄っていたわけです。数字を詳細に示しているのはもちろん大学から25歳のOL生活の間ずっとつけていた金銭出納帳の月別収支によるものです。そんなに細かい数字まで覚えてるわけないです。
 あらっ、こうして見てみると、生活を切り詰めながらも、お稽古代を結構使っていたのだわねぇ。娯楽、たとえば映画はボーイフレンド持ちとかで、自分では払わなかったような……。
 さて、そのオイルショックのとき、私は上記のような、つましい生活をしていたものですから、トイレットペーパーの買占めなんてできません。灯油は近所のお店で1斗缶に入れたのをエッチラ持って帰ったのですが、高騰時期は550円が1カ月後は380円でした。つまり、あわててまとめ買いしなくてラッキーだったのです。
 というわけで、今、被災地にいない私たちにできることは、日々必要な必要最小限買えばよいのです。もし、足りなくなったら、代替品を探すということや、消費を減らすということで、知恵を絞ればなんとかなるものだと思います。

2011年 3月 9日

来週から世田谷で白洲正子展

滋賀、愛媛、そして3月19日から世田谷美術館で白洲正子展が開催される。
日曜日に長命寺のご住職にお出会いし、「東京へも曼陀羅図がいくのですね」とお話していたのだが、あの参詣曼陀羅図を最初に拝見したのは、確か10年ほど前、6月に境内で開催される「あじさいコンサート」のとき、そして1昨年に見せていただいたのは、長命寺の穀屋寺で見つかった折り目のついた参詣曼陀羅だった。
なぜ、折りたたんでいたのかというと、勧進聖が曼陀羅図を持って各地を歩いて絵解きをして寄進を募ったのだそう。
滝行をしている人がいれば、門前の店のようなところもあり、当時の風俗もわかり、じっくり見るととてもおもしろい。出来ることなら、一度ご住職に絵解きをしてもらいたものだが……。

2010年 12月 21日

GO GO 江ちゃん!!

NHKの大河ドラマは来年50回を迎える。
その記念すべき50作目は近江の武将浅井家の三人娘のドラマである。
茶々、初、江の三姉妹の末っ子が主人公だというが、聞くところによれば、
史料が少ないらしく、当然お姉さんのことなどもドラマでは描かれるのだろう。
 
浅井家は近江の北、小谷城の城主であったから、当然滋賀県は沸き立っている。
実は2年前、『戦国大名浅井氏と北近江』、『歩いて知る浅井氏の興亡』という
浅井の本を2冊発刊したのだが、今ひとつ動きが悪かった。
それにもめげず、今度は大河ドラマの誘致作戦をしたいという地元の熱意に
呼応して昨年夏、『花々の系譜-浅井三姉妹物語』を発刊したところ、
ちょうど発刊と同時に、50回目の大河ドラマが浅井家に決まったのだった。
 
おかげさまで、『花々の系譜』は増刷。先月は『浅井三姉妹を歩く』、
そして今月ようやく『江・浅井三姉妹博覧会公式ガイドブック』が出来上がった。

実は三姉妹は、戦国の政略結婚のため、全国各地を転々とするのだが、
本貫は北近江。是非、本を片手に近江へお越しあれ。
 
ところで、タイトルの「GO GO 江ちゃん」というフレーズ、
「戦国鍋TV」というローカル4局の番組で「浅井三姉妹 アザイズム」というユニットが
「茶々、初、GOチャーン、浅井三姉妹ー」と歌っていたので、
ついついそのノリでつけてしまった次第。

 

2010年 11月 4日

日野町正明寺の御開帳に行きました

文化の日、33年に一度しか拝観できない観音さまにお出会いしました。
正明寺さんは近江西国三十三所の札所で、十年ほど前に仕事の関係もあって、三十三所を廻ったこともあり、とても大きな魚板が印象に残っていたお寺でした。お寺のすぐ近くには鎌倉、室町時代の蔵骨器が見つかった大谷古墓があり、今はこじんまりしたお寺ながら(江戸時代に本堂は再建され、現在は黄檗宗の禅寺)、800年ほど前は、丘陵一帯に伽藍が建っていたのだろうなと、勝手に思いを巡らしてしまいました。
秘仏の三尊像は、お厨子の前まで行くことができ、じっくりと拝ませていただきました。秘仏として普段は開かずのお厨子におられるため、胸の瓔珞は色こそ褪めていますが、残っていました。
正面右手の禅堂は平成12年に落雷で焼失。ちょうど檀家の役員さんが寄り合いをしておられたときだったため、お堂の仏像はなんとか運び出して無事だったと聞きました。当時も禅堂には大日如来さんがおられたのかどうかを聞くのを失念していましたが、あの大日さんもなかなかの美形(こういう表現は不適切か?)で、必見。
ご開帳は11月23日までです。

2010年 10月 14日

正明寺は観音正寺・梵釈寺とつながるのかどうか?

『近江の祈りと美』の仕事をしているとき、写真家の寿福さんが「正明寺の千手観音さんは観音正寺の焼けた観音さんによく似ている」と言われた。なるほど写真で見ると本当に似ておられる。時代も同じく室町時代で共に天台宗寺院だったときの作である。観音正寺の観音さんは胎内に作者が書かれていたのだが、正明寺の観音さんは果たしてどうなのか?

先日、大石真人著『近江路の古寺を歩く』(山と渓谷社)を読んでいたら、蒲生町の梵釈寺は正明寺の晦翁禅師が天和年間に開創したお寺だと書かれていた。梵釈寺の御本尊・伝観音像は実は宝冠阿弥陀像であるということは『近江の祈りと美』で高梨さんも解説されており、「ここは重文の正式名称ではなく宝冠阿弥陀像と書いておこう」といわれた、謎めいた仏さまである。もしかしたら正明寺さんにおられた宝冠阿弥陀像が梵釈寺に来られたのでは……などと、勝手な想像をしてしまう。 

とりあえずは、17日からご開帳になる正明寺の観音さんを拝観に行くべし。

 

2010年 10月 13日

仏像ってむずかしい4

今回は仏像というよりも、お寺や神社の名前について、むずかしいことのお話です。
まず大津の園城寺(おんじょうじ)さんは通称は三井寺さんと言われています。三井寺の由来はといえば、天智、天武、持統の三天皇が御産湯をつかったという「閼伽井屋」という井戸があり、これが「御井」(みい)と言われ、それが三井寺になったのです。今回は図版に表記する所有者名として正式名称をいれたのですが、もしかするとわからない人もおられるかもしれませんね。
国宝十一面観音さんのおられる高月の向源寺さんについては、このお寺の住所が「渡岸寺」なので、ついつい渡岸寺の観音さんという人が多いのですが、これはまちがいです。
その他、高月の充満寺(じゅうまんじ)は西野薬師堂、日吉神社は赤後寺(しゃくごじ)、鶏足寺(けいそくじ)は己高閣(ここうかく)というように本当にややこしいですね。

2010年 10月 12日

京極氏のお干菓子

10月9日(土)に開催された上平寺戦国浪漫の夕べは、あいにくの雨で、
会場が伊吹薬草の里に変更され、ろうそくの灯りに包まれた上平寺庭園の
幽玄の世界には浸れませんでした。
でも、午後の講演会には多くの方が来場され、
熱心に講演会を聞いておられました。
 
で、私は…というと、毎年お茶席がかけられるので、そちらで一服。
 
 

なんとまあ、今回は京極氏の家紋のお干菓子が登場しました。
作られたのは京極氏の菩提寺・徳源院の奥様。
左の大徳寺納豆入りのお干菓子は和三盆の甘さと大徳寺納豆の塩味が
うまく融合していて、もうひとつ欲しかったくらいでした。
来年は晴れますように!! 

2010年 9月 29日

仏像ってむずかしい2

以前、写真を裏焼きして印刷したことがあり、今回もそれだけはとても注意していたのですが、校正のときに発見し、ヒヤッとしました。
そこで、裏焼き防止策について、まず、ポジフィルムの左にギサギザがあるから、それと確認すること。
でも、たまにデュープしたものがさかさまになっていたということてもあったので、オリジナルでない場合は要注意です。
次に、仏像が薄い衣をまとっていて、これを天衣というのですが、天衣は左肩にかけておられるので、それに注目します。後は、既刊図録を見ながらチェックしました。
 
三尊像などでは、右左が決まっているかと思いきや、逆の場合もありました。たとえば不動明王さんの右にはセイタカ童子君で左はコンガラ童子ちゃんが一般的みたいなのですが、逆の場合もあります。一番悩ましかったのは、三尊集合写真がなくて、一枚撮りのときです。このときは、直接お寺に電話をして確認しました。

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