新撰 淡海木間攫

新撰淡海木間攫 其の八十五 大岩山銅鐸6号鐸(袈裟襷文銅鐸)

 野洲市歴史民俗博物館 学芸員 鈴木 茂

大岩山銅鐸6号鐸(袈裟襷文銅鐸)

 滋賀県野洲市が誇る文化財、大岩山銅鐸が野洲市小篠原の大岩山で明治14年(1881)に発見されてから140年を迎えました。弥生時代につくられた大岩山銅鐸は、日本の古代史を解き明かす重要な手がかりとして、全国的に注目されています。
 大型の銅鐸は近畿地方を中心に分布する近畿式銅鐸と、東海地方を中心に分布する三遠式銅鐸の大きく2つに分けられます。大岩山からは24個もの銅鐸が出土し、このうち近畿式の成立に関わる銅鐸4個、近畿式銅鐸が14個に三遠式銅鐸が4個含まれています。また、大岩山銅鐸の中には独特な特徴をもった銅鐸がいくつかあります。今回、ご紹介する大岩山6号鐸もその1つです。
 大岩山6号鐸は昭和37年(1962)に発見された、高さ55.4㎝、重さ6.16㎏を測る弥生時代後期(1〜2世紀頃)の銅鐸です。
 通常、銅鐸の身の部分は中央と左右の縦帯と横帯によって4区画ないし6区画構成です。しかし、6号鐸は縦帯を身の下方にまで延長し、まるで8区画に構成されているように見えます。また、飾耳(銅鐸の周りについている耳状の飾り)のつけ根の中心に縦の線を入れ、鰭のノコギリ様の文様(鋸歯文)の斜線の数が少ないなど決め事が守られていません。このほか三遠式と近畿式の両方を兼ね備えた独特な銅鐸もあります。
 こういった特徴がみられることは、銅鐸の新しいデザインを考えようとしたのかは不明ですが、製作者の試行錯誤の様子を読み取ることができます。
 大岩山銅鐸の中に独自性がみられる背景には、それまで各地にあった集団がより大きな集団へと統合される過程の中で、新たな共同祭祀としての銅鐸が模索されたのでしょう。
 銅鐸博物館では秋期企画展「大岩山銅鐸の形成 ─近畿式銅鐸と三遠式銅鐸の成立と終焉─」で静岡県や奈良県などの東西から出土した銅鐸や遺物を展示し、大岩山銅鐸からみた弥生社会を解き明かす展覧会を行いますので、ぜひご来館ください。
(2021年10月9日(土)から11月28日(日)まで開催)

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