新撰 淡海木間攫

其の十八 冷水寺の胎内仏

胎内仏

 伊香郡高月町宇根(うね)地区では、平成9年(1997)県の「創意と工夫の郷づくり事業」の助成をいただいて、区の歴史と文化を紹介する場として資料館を平成10年に開館しました。間口2.5m、 奥行き5m、展示面積は10平方メートルほどの本当に小さな資料館です。

 ここで展示の中心となっているのが、区内にある冷水寺観音堂に収められている聖観音菩薩坐像(胎内仏とは、仏像の内部に納められた仏像をさす言葉)です。これは平成8年に観音堂の屋根を修復することになり、本尊の十一面観音坐像を高月町立観音の里民俗資料館に一時保管してもらった際、台座の中から発見されたもので、区に伝えられてきた古文書や伝承が本当だったことを証明するものとなりました。

 天正11年(1583)賤ヶ岳の合戦の際に、豊臣秀吉と敵対した戦国武将・柴田勝家によって伊香郡北部は焼き討ちにあいます。村人らが林の中に避難していたところ、観音さまが呼ぶ声が聞こえたので急いでかけつけましたが、すでに本尊は大きく焼損されていました。それでも村人らは、小堂を再建して大切に安置し続け、1世紀余りが過ぎた元禄12年(1699)、堂の扉が自然に開き、中から痛ましい姿を見せたため、村人らは講を組んで、元禄15年(1702)に京都で十一面観音坐像を造り、御開帳法要の際にその胎内と台座内深く納めたというのです。

 高さ約103.9cm、ケヤキの一木造りで、ご覧のとおり、表面が黒く炭化し、両腕の肘から先はもげ、顔もその表情をうかがうことができませんが、丸くふくよかな顔、大きな髻(もとどり)などからみて平安時代中期(10世紀)に製作されたものだろうとのことです。

冷水寺胎内仏資料館 館長 下村 正勝

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